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大学生日記 桜散

 勢いを見せていた桜の開花がいつの間にか終わり、花びらは眼下に収まるようになった。それどころか、眼下の桜さえ消えている。誰かが掃いたのか、風が運び去っていったのか、知る由もない。

 テレビのニュースでは、入社式だの入学式だのが数年ぶりの行われているとかなんとか。普通を取り戻せてよかった、という人もいるだろうか。

 バイト柄、中高生の話を聴くことが多い。楽しい上に、情報収集も出来るから、これで金がもらえるとは何とも有難い。ある折、「学歴だけ欲しい」という意見をとある子から聞く。高卒と大卒で何故か存在する給与待遇の差に不満を覚えての事だろう。不遇な扱いは嫌だから、大卒の資格が欲しい、と。なるほど、それ自体はおかしなことではない。とても合理的だ。

 私は大学で学んでいるが、「大卒が有利だから」ということさえ知らなかったところが正直なところだ。勉強や知らないことを吸収することが好きで、なんとなくそのまま大学生になる、くらいのことしか考えていなかったのだから思考停止もいいところだ。だから、「待遇を良くするために大卒という資格が欲しい」という動機それ自体があること、それは何だか悪くはないように思える。それどころか、この時点でそこまで考えていることが偉いとさえ思ってしまった。

 大学生になってから感じたことは、「勉強や学ぶことが純粋に好きで大学生になっている人は意外と少ないのでは?」ということだ。だが、大卒の方が高卒よりも待遇が有利になるから等々、で入ってくる人をバチバチに否定したいわけではない。なぜならその考えも、ある意味合理的だから。ただ一つ指摘することがあるとすれば、大卒という「がわ」だけを持った人にはなって欲しくないなぁということだなぁ。

 「せっかく大学生になったなら、思う存分勉強できるよ!」という事を割と平気で新入生や大学生予備軍の人に言いそうなのが私だ。別に変な気はない。まぁ折角なら、伸ばせる技能や素養を伸ばせるだけ伸ばすとか、幅広い教養を身に着けるとか、学生だからこそできる学びみたいなことをして欲しいと思っているだけだ。まぁ、「机に向かって勉強する」形に囚われる必要性はどこにもないが。学びとは、広い広い世界のどこにでもあるものだから、大学生はそれを思う存分享受して欲しいなぁと思う次第だ。

 仮に、仮にだ。大卒が高卒と待遇の差が大してなくなり、高卒からでも十分に稼いで行けるような体制と社会の風が巻き起こったなら、それでも大学へ行く人は変わらないままなのだろうか。あなたなら、「それなら行かなくていい」なのか。それとも、「それでも大学に行きたい」なのか。一体どちらを選択することだろう。

 ちなみに私は後者を選ぶ。4~5年社会に出るのが遅れようと、私は一定の期間で自分の興味のあることを、利益や採算など気にする必要ない環境で勉強することに価値を見出しているから。なんとなく、そっちの方が私に合っている気がしたから。まぁそれくらいだ。知らないことを知るのは楽しい。決して自分では触れることの出来なかった経験が、有難いことに向こうからやってくる。自分の狭苦しい価値観や知識を打ち破り、新たな気づきをもたらしてくれる。それはきっと、(少なくとも私にとって)この上なく心地よいこともである。

 そうこう考えているうちに、また新しい年度が始まっていく。新しい風が吹き始める。桜は既に散り始めているけれど、新緑の季節ははまた新たなワクワクを感じさせる。あー、何を言いたかったんだっけ…あ、「何か夢中になるものを見つけてね」ってことにしておこう。

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