「孤独」のすすめ。 人間関係、江戸っ子、浪速っ子の違いと現代日本人

 あなたが大勢とつるみ、迎合しないで、自分が個性を発揮し、独自の行動をすれば、あなたは浮き上がり、変人として扱われ、仲間外れ、孤独になってしまいます。
 それがこわくて、多数に迎合して生きている人が多い。
 しかし、世間に迎合しない毅然とした生き方なわけですから、むしろプラス勝ちだと言えます。
 したがって私たちは「孤独」を楽しんで生きたほうがいいのです。

 夏目漱石の「行人」は、 人間の孤独 をテーマにしたものです。(人から人へ掛ける橋はない)この諺が「行人」の主題と言えます。
 ぜひ、私も人間の孤独について、考察を深めたいので行人を読んでみたいと思います。

 ヤマアラシのジレンマという言葉があります。
 人間にとって、ヤマアラシの刺というのはプライドです。自尊心です。  
 私たちは自我意識があるもので、なかなか他人を寄せ付けません。
 ましてや自分の方から他人に近づくこともしない。それで、人と人とのあいだに掛ける橋がなくなり、互いに孤立し、孤独地獄に堕ちてしまうのです。
 だから、プライドや自尊心を捨ててパフォーマンスする人は親近感を持たれるということですね。なんとなくわかります。

 江戸っ子と浪速っ子の違いについて、、、

 晩秋において、人々はそこはかとない寂寥を感じます。 そして隣人と一献をかたむけたい心境になります。  

 そこで江戸っ子は一升瓶下げて隣家に行くでしょうか? たぶん行きません。
 なぜかと言えば、次に隣人に訪ねてこられても迷惑だからです。その明日の迷惑を避けるために、今日の寂しさを我慢します。  それが昔の東京人です。

 私の場合も麻雀をするので、見えない細かいところまで見えてしまって、先読みしてしまいますね。
 生活にて、見えすぎてどうでもいいところで気を使ってしまいます。

 浪速っ子、昔の大阪人の場合は隣家の友人と一献をかたむけたくなったら、さっさと訪ねていきます。
 「おい、一杯やろうや・・・」 「ああ、いいよ」となるのです。
 それから今度向こうからやってきた場合、「いや、ワイは今日は忙しいんや。一杯やってる暇なんかあらへん。帰ってや」となります。誘いを断るほうもあっさりと断ります。断られた方も、別段腹を立てません。

 現代日本人は、自分の主張をする前に(相手はこう思うかもしれない・・・)と考えてしまうのです。だから、中途半端になってしまいます。
 欧米人やインド人、中国人などは自分の都合だけを主張する傾向がありますが。

 また、現代日本人は、昔の東京人のように寂しさを我慢することができません。  孤独を我慢できないのです。

 で、ケータイ、メール、LINE、でもって常に他人とつながっていないと不安でならないのです。
 そして送られてくると、レスポンスの義務感に縛られています。

 そういう義務感に縛られないために、昔の江戸っ子はみずから孤独を求めたのですが、現代日本人にはそういう強烈なる主体性はありません。

 かといって、メールが送られてきても、自分の都合でそれに返事をしないという、昔の大阪人のような自分勝手もない。

 みんながみんなコンタクトに戦々恐々としています。

 作者は、こういう現代日本人、馬鹿ですねぇと言ってます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?