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【ビジネス】仕事で専門性を発揮できない理由は「距離感」の問題がある

こんにちは。現役社会福祉士のタカヒロです。

先日こんなツイートをしました。

「可哀想だから」
「この利用者は酷い」
「私なら家に帰す」

これ全部個人の価値観。そこに専門性はあるのか。なぜそう判断したのか。根拠を持って説明できることが専門職。個人の価値観で言うのは素人だ。どんな環境でも、専門職としてのプライドと価値を胸に仕事に臨みたい。

どの仕事でも同じだと思いますが、対価をいただく以上、専門性を持って仕事をすることは大事です。

上のツイートのように、「可哀想だから」「この利用者は酷い」「私なら家に帰す」、といった個人の価値観で判断することは、全くと言っていいほど根拠がありません。

しかし、いくら専門性を発揮したくても、環境次第で押さえなければならない場合もあります。例えば、職場が専門性を求めていない場合。求めていない環境だと、自分が専門性を発揮すればするほど、周囲から浮いた存在になってしまいます。そうなると、仕事がしづらくなってしまう。

果たしてそれでいいのでしょうか。

僕は違うと思う。環境次第で専門性を出したり引っ込めたりするのは、専門職としてのプライドを捨ててしまっているということ。どのような環境でも、自身が抱いているプライドは捨てたくないと思っています。

では、職場が求めていない環境で専門性を発揮するためにはどうしたらいいのか?

「カメレオンになること」

環境や状況次第で色を変えることで、専門性を発揮したらいいのではないか、と考えた。

先ほどの「出したり引っ込めたり」とは意味合いが違う。ゼロではない。常に専門性を発揮するのだが、色を変えていく。そのような器用さが環境次第で必要なことだと思います。

簡単に「色を変えればいい」と言っているが、そもそも色を変えるとはどういうことなのか。当然、一朝一夕にはいかないでしょう。

僕が思うに「距離感」なのかと。

専門性を発揮する場合、根拠を述べる場面があります。その際、相手との距離は近くなる。直接伝えるからある意味「真っ向勝負」というわけです。

「距離感」というのは、上のような近い距離もありますが、全体を俯瞰して一歩下がった距離で物事を捉えることも必要だと考えます。

専門性の熱量を抱いているのだが、どこか冷めて見ている自分がいる。このような距離感を使い分けることが、専門性の色を変えることにもつながるのではないかと思います。そして、その場の環境に溶け込むことで、周囲からの違和感をくらうことなく専門性を発揮することができるのです。

以前の僕は常に真っ向勝負を挑んできました。「社会福祉士としての専門職のプライドを捨てたら終わりだ」と。でもプライドの使い方がよくなかったんですね。

したたかさも大事

状況分析し、ここぞとばかりに専門性を出していく。したたかさが大事だと実感しています。押してダメなら引いて見る。こういうことですね。

しかしこれだけは言わせてください。

どんなに色を変えても、専門性のプライドは捨てません。

いくつになっても、どんな環境でも、僕は社会福祉士としてのプライドは捨てず、仕事に邁進していきたいと思っている。ある意味、決意表明みたいになってしまいましたね。

今回のnoteでお伝えしたかったのは、「自分の専門性を環境次第で捨てないでほしい」ということでした。どんな職場でも、自分が培った経験や知識を発揮する場面はあります。発揮できていない方は、色を変えてみてください。距離感の問題です。どこかに突破口はあるはず。

苦難に立ち向かうとき、僕はこの言葉を口ずさみます。

「諦めたらそこで試合終了だよ」

これは、バスケ漫画「スラムダンク」での有名なセリフです。走り続けることは大変なんですよね。きつい。だけども、走り続けることが必要な場面はあります。僕はこのセリフを胸に、速度はおそくなるけれども諦めずにコツコツ取り組むことで、どこかに突破口があるのだと信じています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




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