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忙しさの文脈

先日の体調不良から復調してくると、自ずと仕事が忙しくなってきた。
家事も今まで通りやっているし、子供のこともなんだかんだ色々やることがある。
マタハラを受けて会社を転職しようとしているので尚忙しい。外資系に応募するので英語もちょっとずつ思い出さないといけない。

「忙しい、は言い訳だ」と良く言われる。
忙しい中でも寸暇を惜しんでとり組めば、きっとできるはずだ、という趣旨だ。
わたしもある時期まではそれを肝に銘じて、寸暇を惜しんで色々とやっていたので、そう言いたくなる人の気持ちはわからないでもない。

しかし、忙しいと感じている当人にとってみれば、忙しいものは忙しい、のである。

そもそも、仕事が忙しいのと、家事や育児で忙しいのはぜんぜん事情が違う。
家事育児は家庭にお任せで深夜までオフィスで残業する社員と、育児家事のために時短勤務する社員、どちらが「忙しい、は言い訳だ」と言うかによって、その意味は全く異なる。

戒めとして「忙しい、は言い訳だ」と自分自身に言い聞かせるのは結構だが、それは他人に向けていい言葉ではない。
誰もが同じ価値観・タイムラインを共有する時代ではないのだから、相手の背景にどんな事情があるかもわからないという、常に慎重な態度を取るしかない。
その人が何を優先して生きるかは、他人が踏み込んではいけない世界だ。


というわけで、わたしは病み上がりで体調が思わしくなく、家事に育児に転職に英語の勉強に忙しい。

そんな言い訳をしつつ、身体と家族をいたわりながら、他人からやかましく言われない絶妙なラインを狙って、今日も明日も淡々と仕事をこなす。



カバー画像:AIいらすとやで生成「A busy man wearing suit, getting mad(スーツを着た忙しい男、発狂する)」

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