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毎日続ける

どんな些細なものごとでも、毎日続けることが大事である。

「三日坊主」なんて言葉が現代でも通用するように、人は3日でも物事を継続することは難しい。
一方に「継続は力なり」という言葉もある通り、継続することは、それ自体がその人の実力を証明しているとも言える。

自慢するほどでもないが、わたしはこの「継続」がけっこう得意である。

英会話や筋トレなど、多くの人が続けたくても続けられずに挫折してしまうとよく言われる類の地味な学習や運動を、数年間のスパンでほぼ毎日続けることができる。

学校を卒業するころには自己紹介もできなかった英語力が、3年ほどで英語で面接を受けられるまでになり、ずっとガリガリとバカにされてきた身体は、2年ほどで服の上からも筋肉の形が分かる体型になった。(残念ながら筋肉のほうは、7月頃にコロナにかかって7kgほど落ちてしまったが)

世の中には尋常ではない熱量ともっと高い密度で物事に取り組む人もいるので、わたしのような「継続」は本当は大したことはない。
1ヶ月間で新しい言語を習得してしまう人、1日1冊以上の本、しかも学術書や哲学書のような難解な本ばかり読むことを数十年間続けている人など、ああいう人たちの「継続」の強度・その集中力は、それ自体が文字通りの才能である。

そういう非凡な人たちの一方、わたしのような凡人は、ダラダラとでもいいのでともかく毎日続けること、継続そのものを目標にすることが重要だったりする。

吉本隆明も言っている。

いつも言うことなんですが、結局、靴屋さんでも作家でも同じで、一〇年やれば誰 でも一丁前になるんです。だから、一〇年やればいいんですよ。それだけでいい。 他に特別やらなきゃならないことなんか、何もないからね。一〇年間やれば、とに かく一丁前だって、もうこれは保証してもいい。一〇〇%モノになるって、言い切ります。

吉本隆明・糸井重里『悪人正機』(新潮文庫) p171

…まあ、無理することはないから、今日も机の前に座ってみたっていうくらいのね、こういうことは毎日やったほうがいい。
僕は自分に近い職業の例として、作家のことで言ってますけど、これは何でも同じ でさ。一〇年毎日やれっていうと、何かえらく努力しろみたいなことを言ってるよう だけど、そうじゃないんです。 努力しようがしまいが、とにかく毎日、ぼーっとして てもいいから、毎日を一〇年続けるんですよ。

吉本隆明・糸井重里『悪人正機』(新潮文庫) p173


10年という単位は、戦後最大の思想家の円熟した直観からくる数字だろうが、わたし自身はある時期から「2週間続ける」ことをひとつの目安にしている。2週間継続できれば、それはそのまま3年くらいは継続できると思っている。

なぜ2週間なのか自分でもよくわからないが、平日・休日のルーティンのなかで同じことが2回実現できれば、それは習慣化できるということなのだろう。

このnoteも、地味に毎日更新を続けている。
数年間ほとんど何も書いていなかったアカウントをなぜ突然毎日更新するようになったか、動機は最早よく覚えていないが、ともかく地味に続けて、この記事が17日目である。

斯様な駄文でも書き続けると自分なりの文章のリズム、クセみたいなものが徐々にわかってくるし、アウトプットのスピードも段々上がってくるのを実感している。

なにごとも続けて損はない。まずは2週間続けられたし。


今日の本:


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