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ポーカーで世界を旅した2年間〜第二話:検査。新社会人、国と喧嘩する〜

第一話:胡蝶の夢」はこちら

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

夏目漱石『草枕』

「〜については、どうなっていますか?」
「現在手元に資料がないので、後ほど資料を用意し回答致します。」
「そんなこともわからないのか!!」
 朝の10時、隣の部屋で検査官の怒号が飛び交う。まるでテレビドラマみたいだ。

僕は暗号通貨業界で働いていた。ポーカープレイヤーとしての生活を始める前のことである。
 
 当時の日本は暗号通貨先進国と呼んでも言い過ぎではなかった状態にあった。暗号通貨・ブロックチェーンという真新しいテクノロジーを危険なものだと直ぐに厳しい規制をかけることはやめ、法整備を少しずつ進めていく。そういった指針を政府が取っていたからだ。ソフトウェア産業において、アメリカや中国に大きく遅れを取ってしまったため、暗号通貨周りでは成功を収めたいと考えていたがゆえの舵取りであったと聞いていた。
 ただの紙切れである紙幣が価値を持つことさえ不思議だったのに、それが今や国家のお墨付きを得ているわけでもない単なる電子データが価値を持っている。ビットコインの存在そのものに知的好奇心を刺激された僕は、国の舵取りも良い方向に進んでいるという事実も後押しして、大学を卒業後とある暗号通貨の取引所で働くことにした。



 仮想通貨の取引所は国の登録制となっている。僕らの会社を含め複数社は、マネーロンダリング対策・顧客保護等の準備が未だ完璧ではない”みなし業者”として扱われ、国と連携を取りながら登録を目指す準備段階にあった。
 2018年の初夏、その会社が創業以来最大の危機を迎えていた。暗号通貨の価格が全体的に急落したこと、そして大手の取引所からNEMという暗号通貨が盗まれたことが決定打となり、世間のからこの業界への風当たりはかつてないほど激しいものになっていた。その結果、金融庁が動き各取引所に対して厳しい検査をし始めたのであった。


 検査期間は概ね2週間、会社の各部ごとに金融庁の担当官が割り振られ、検査をしていくことになっていると通達された。僕ら会社は10人以下の規模の小さな会社であり各メンバーは横断的に様々な仕事をしていたため、部などという垣根は実質存在していなかったのだが、一応、先方の求める大企業的な組織図を作って対応することになった。各部の部長の下に部下が一人しかいないという不思議な状態で、少し滑稽に感じられた。僕は顧客管理部兼営業部のメンバーとして対応にあたることになっていた。

「あなた達には会社を経営する資格がない!!」
 ガシャンという音ともに、また怒声が聞こえる。鈍い音が隣の部屋にまで響いた。机を叩いたのか、はたまた蹴飛ばしたのだろうか。

「次、顧客管理部の方。」
 僕の番だ。レッドブルを流し込んで気合を入れる。
 部屋に入って、担当官と名刺交換をした。僕らを検査しに来たのは、普段は主に銀行を見ている”銀行課”の人たちのようだ。
「これは苦労しそうだ。」
 僕はそう覚悟した。

 先方は時折、声を荒げたり、経営者としての資質がどうのこうのと意味のわからないことを言ってきたり、机を叩いたりすることがあった。先方の理不尽で横柄な態度に、腸が煮えくり返りそうになっていたが、下手に反抗して悪印象を与えては元も子もないので僕らは粛々と対応にあたった。登録を目指すこちらと、許可を出す先方、立場の強弱は明白だった。
 
 それにしても不思議だった。つい半年前まで、穏やかにコミュニケーションを取りながら一緒に登録を目指していたはず国が、手のひらを返したかのように見下し、尋問のようなスタンスを取る。半年前までコミュニケーションを取っていたのは別の省庁だったし、事情が変わったと言えばそれまでなのだろうがよく分からないというのが正直な感覚だ。
 こういった事態は社会人として”当たり前”のことなのだろうか?現在、一般的な社会システムから離脱してしまっている僕には判断しかねるが、先方の態度の変容具合と此度の対応は、僕の目にはあまりにも理不尽なものに映った。怒りに近い感情が湧き上がっていた。

 彼/彼女らは、毎朝9時に来て18時頃まで居座った。各部門、毎日2~3時間ほど質問攻めに遭う。先方として確認したい資料があると、それを翌日までに出すように言われる。当然、通常業務は止まっている。僕らは彼らが帰ってから求められた資料を作りつつ、定常業務を行う。僕は夜、どうしても眠くなってしまう性の人間なのだが、寝ている場合ではなかったのでとにかくカフェインを摂りまくって目を開けていた。レッドブルを一日5,6本飲んでいたのだが普段レッドブルを飲んでこなかったからか、その効果はてきめんでCMではないが翼を授けられていたような感じがした。

 しかし、慣れないことをするものではないようだ。初週の検査が終わった金曜日の夜、僕に生えていたはずの翼はイカロスのそれのように溶けてしまった。吐き気、動悸、悪寒。特に動悸という症状は生まれたはじめて経験したものだった。他にも同じ症状を訴えているメンバーが何人かいた。どうやら急性カフェイン中毒のようだった。

シャガール〈イカロスの墜落〉

 翌週も検査が続くことを考慮し、土曜日は丸一日休みになった。若いことが幸いしたのか、丸一日寝て起きると僕の体調は回復していた。カフェインの危険性を学んだ僕は、翌週からはレッドブルは控えることにした。代わりに、カプサイシンを使うことにした。オフィスのそばにエスニック料理の弁当屋があったのでトッピングの激辛唐辛子をたくさんもらってきて、眠気が襲ってきた際にはそれをかじっていた。そんなこんなで、中一日の休暇を挟んで、徹夜に近い生活が2週間ほど続いた。

 検査終了後は平穏な日々が訪れた。正確に言うと検査結果を待っている段階なのでまだ終わってはいないのだが、毎日徹夜をする必要がないという意味で平和だった。検査期間をぼんやりと振り返ってみる。
 正直、渦中の細かな出来事に関する記憶はあまりなかった。残っているのは、断片的な感情の数々だ。
 上述したように先方の理不尽な対応への違和感と怒りがメインだが、それと同時に一種の充実感を感じていた。必死で手と頭を動かし続ける疾走感やひりひり感。負荷がかかることによりメキメキと成長している感覚。目の前の難局を皆で乗り越えようという一体感。なんでこんな目に合わなければならないのか全く意味がわからなかったが、ある種の興奮状態にあった。程度は違えど、戦時中の人々の興奮状態もこのような感じだったりするのだろうか。そんなことを考えていた。

 検査期間は、当初想像していたよりも短いものに感じられた。後は結果を待つのみだった。

第三話:わからない」はこちら

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