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ポーカーで世界を旅した2年間〜第一話: 胡蝶の夢〜

「…………ヤパン!」
 ロシア語か、スヴァン語か。しゃがれた声が遠くに聞こえる。
「…………ヤパン!ヤパン!フード!フード!」
 二度目の呼び声で目が覚めた。時計の針は6時を指していた。
「今いくよ」
 僕は独り言を言いがら伸びをした。ゲストハウスLikaの朝は早い。急かされるように2階の寝室からダイニングへと下る。
「人に起こしてもらうだなんて、久しぶりだな。」
 ここウシュグリ村は標高2200mに位置しており、9月の終わりでも朝晩は冷える。廊下は寒かった。
 寒い廊下を抜けて扉を開けるとしゃがれ声の主であるゲストハウスのオーナーゴギと、その奥さんのティコがいた。ティコは弱火にかけられた鍋の中に手を入れ、何か白い物をかき混ぜている。どうやら自家製のチーズを作っているところのようだ。

 古びた木製のテーブルには、パン、チーズ、トマト・キュウリ・玉ねぎのサラダ、そして”ソコ”というキノコの炒めものが並べられている。僕のお気に入りはソコだ。玉ねぎとキノコを香辛料やハーブと一緒に炒めた料理であり、仄かな酸味と塩気が絶妙で香辛料とハーブそしてキノコの香りが鼻から抜ける。単体でもうまいがパンに乗せて食べると更にうまい。
「どう?」
 ティコが尋ねてきたので
「ゲメリエリ!」
 ジョージア語で”美味しい”を意味する言葉で返事をすると、二人は嬉しそうに破顔した。

 午前中はゴギ一家の農作業を手伝うことになっていたので、朝食後すぐに寝室へ戻り身支度をした。フィリピンで借りた家のオーナーから購入した白いTシャツに、LEVI'S 501、履きつぶれかけたNike Air Force1、ユニクロのパーカーを羽織れば完成だ。この2年間ほぼ毎日同じ格好で過ごしていて、この格好はもはやユニフォームのようなものになっていた。

 ウシュグリ村は、氷河が山を削ってできたU字谷の底部に位置する村なのだが、そのU字の斜面には刈り取られた牧草が天日干しにされている。その干し草をトラックに積んでゲストハウス近くの納屋まで持ち帰ってくるというのが今日の仕事だ。
 隣家から助っ人が二人やって来た。青年アスランとその祖父だ。アスランは大きな体躯にたっぷりの口髭と顎髭を蓄えていて、森の番人のような風貌だ。軽く挨拶を済ませ、ゴギと僕を含めた4人でトラックに乗り込む。と言っても、運転席と助手席には合わせて二人しか乗れないので、若いアスランと僕はトラックの荷台に乗り込んだ。トラックのキャビンは鉄製でキンキンに冷えていたため、支えにすると手がかじかんだ。

 トラックはゲストハウスを出て、横幅3mほどの狭い道に入った。道は舗装されておらず、大小様々な石が落ちている。少し進むと、立派な黒い角の生えた牛と豚の親子に出くわした。牛は道路脇の草をむしゃむしゃと食べ、その横を豚の親子がマイペースに歩いている。道幅が狭いので当然トラックは通ることができない。人と動物がこれほど混在している世界はインド以来で、少し懐かしい気がした。牛と豚の親子が退くの見送ってトラックは再び出発した。


 ウシュグリ村自体、傾斜した斜面に存在していて、その村内を曲がりくねった細い道が縦横無尽に走っている。道の両脇には民家や畑が見えるが、中でも炭のような多層からなる黒い平石で作られた伝統的な石造りの家々に目を引かれる。三角形の切妻屋根も石でできているようだ。そんな家々の間には、さらに人目を引く塔が林立している。高い建物の無いウシュグリ村の中では一際目立つ大きな建物であり、ゲストハウスからいくつも見えていた。道中そのうちの一つに近づいたので、ゴギに言ってトラックを止めてもらい近くで見ることにした。

 縦横5m、高さは20mほど。周囲をグルっと回ってみたが、入口は見当たらない。見上げると高さ5,6mほどのところにそれらしき穴はあるが、はしごか何かがなければ到底届かない高さだ。塔の最上部には各面3つずつ窓のような穴があいている。
 改めて少し離れて全体像を見てみる。民家と同じく石造りではあるのだが、使用している石が異なるからだろうか全体的に黄土色だ。時の流れを経てか塔の中部辺りまでは苔が生え黒ずんでいる。

「これが”復讐の塔”か……」

 ジョージアの山間部の他地域でも似た形状の塔を、見ることができるが、ここウシュグリ村の塔が特徴的なのは民家に併設されている点だ。紀元後9~12世紀、嘘か真かこの地域には自分や家族が侮辱されたり直接的な危害を受けた場合、その相手またはその家族に復讐を行うべしという「血の掟」が存在していたらしい。そしてその掟の下で生まれた「いつ何をきっかけとして他者に復讐されるかわからない」という恐怖心が、見張りと防衛いざという時には籠城をも可能にする塔を生み出したらしい。それが”復讐の塔”という名前の由来だそうだ。確かに地上付近に入口はないし、伝承は本当なのかもしれない。
 
「ヤパン!」 ぼんやりと村の歴史に思いを馳せていると呼ばれた。そういえば仕事に向かう途中だった。僕は急いでトラックに戻った。

 トラックは再び出発し、坂道をぐんぐんと登っていく。前方の丘に目をやると大きな十字架が見えた。ラ・マリア教会だ。どうやら教会には陽の光が届いているようで、その付近を通過するらしい。しばらく進むと教会の構える丘に着いた。

「すげぇ……」

 そこから見える景色は圧巻だった。標高5,000mを超える、雪に覆われたシュハラ山の全景が目に飛び込んでくる。手前に目を移すと氷河によってU字に削られた渓谷、その中心には氷河から流れ出た川とその脇を走る荒涼とした一本道が見える。左右の斜面には陽の光を受けて草木が黄金色に輝いている。排気ガスが少ないからか、眺望性が高く、その美しく壮大な風景が一気に頭の中になだれ込んできた。

「凄いだろう?」荷台に乗っていたアスランが言った。
「きれいだ。」正面の大山脈を見据えたまま僕は答えた。
 アスランはひげの間から白い歯を見せながら得意げに笑っていた。

 斜面には刈り取られた牧草がドーム状に積まれて点在していた。ゲストハウスから付いてきた2頭の犬が、じゃれ合いながらその間を駆け回る。牧草は藁で作られた小さな家のように見え、牧草群はさながら斜面に現れた小さな村だ。



 真っ青な空に、白いシュハラ山。黄金色の村を駆け巡る、2匹犬。まるでハイジの世界のような、画になる光景だった。


 仕事は想像以上にハードなものだった。牧草の塊をトラックの側まで運ばねばならないのだが、これが水を吸っていてかなり重い。塊の下には大きな木の枝が差し込んであり、それを引くことでソリのように斜面の下まで運ぶことができるのだが、足腰にくる。
 トラックの側まで運んだ後は4本爪の巨大な鍬のような農具を使い荷台に載せる。効率良く載せるべくテコの原理を使おうと試みるも中々うまくいかず、腕と背中に効きまくった。
「明日は全身筋肉痛だな……」
 そう呟きながら僕は笑った。火照った身体を冷たい微風が優しく撫でる。久々の肉体労働が妙に心地よかった。

 荷台は干し草でパンパンになり、来た時の2倍ほどの高さになっていた。僕が乗ってきた荷台は見る影もない。
「そういえば、どうやって帰るのだろうか?」
 そう思い、作業をする手を止め一服していたゴギに近づき尋ねた。

 ゴギは細長いタバコを口から離し斜面をそれで指した。そして、反対の手の人差し指と中指で斜面を駆け最後にはジャンプするかのような仕草をとった。
 まさかとは思ったが、その通り、帰りは荷台の干し草の上に乗って行くことになった。悪路のためしっかりと身体を寝かせていないと落ちそうになる。しかし、フカフカのベッドに寝転がりシュハラ山の絶景を見ながら着く帰途は格別だった。

 ゲストハウスに着くと、昼食の時間だった。ゴギ、ティコ、アスラン、アスランの祖父、僕の5人で食卓を囲む。
 昼食のメニューは、ジョージア版ジャーマンポテトのオジャフリ、煮豆に、僕の好きなソコ、チーズとパン。素材の味を生かした料理達はどれも美味しい。赤唐辛子とにんにく・塩・ハーブ類から作られるアジカなる調味料も登場し、これが何にでも合う。特にトマトペーストと混ぜてパンに塗って食べると絶品だった。

 食事中、ゴギがキッチンの床板を一枚外した。そこにははしごがかかっていた。どうやら地下の食料庫につうじているようだ。ゴギは15Lくらいは入りそうなタンクを2つ食料庫から取り出した。2つのタンクにはそれぞれ別種の液体が入っているようで、それぞれのタンクからピッチャーに移し替えていた。
「お前も飲むか?」
 僕は両方とも貰うことにした。
 ゴギの持ってきた液体の正体は自家製のワインと”チャチャ”だった。それぞれワイングラスとショットグラスに注いでもらった。 
 諸説あるがジョージアは世界で初めてワインが作られた場所と言われ、その歴史は紀元前6000年にまで遡るらしい。ジョージアワインは伝統的に、土中に埋めたクヴェヴリと言われる卵型の陶器の中で、白ブドウの果汁を果皮や種と一緒に発酵させて造る。通常、白ワインを造る際は果皮と種を取り除くのだが、ここではそれらを一緒に発酵させるため、オレンジ色になるらしい。グラスに注がれたワインは琥珀色できれいだった。



 チャチャは、ワインを作った後の残渣であるポマースから作られた蒸留酒だ。ブドウから作ったウォッカのようなもので、度数は40度にもなる。こちらもジョージアの伝統的なお酒で、ほぼすべてのレストランで飲むことができる。可愛い名前に反して強烈なアルコール感があるので僕は少し苦手だったが、ゲストハウスLikaのチャチャは美味しかった。飲み口は甘くて軽い。あとからチャチャ特有の強いアルコール感が来るがその口当たりの良さからグイグイ飲めてしまう。



 乾杯の音頭を待っていると、各々が自分の持つグラスから少量のお酒を床に垂らしていた。
「何をしているの?」と尋ねると
「祈りさ」とゴギが答えた。

ゴギは指で天井を指し、じっと目を瞑った。

「天国にいる死者達への祈りだよ」
 英語を話せるアスランが教えてくれた。僕も皆の真似をしてチャチャを少し垂らし黙想した。
 ダイニングは静寂に包まれ、心は落ち着き神聖な気持ちになった。
 黙想後は乾杯しチャチャを呷る。乾杯後には一気飲みをする文化があるようで、卓上の賑わいが一気に戻ってきた。

 昼食後、他のメンバーは再び牧草回収に向かったが僕は行かないことにした。村の入口にある小さな丘へ向かうためだ。


「今何時だろうか?」
 丘へ向かう途中、ゲストハウスにスマホを忘れてきたことに気がついた。そういえば起床してから一度もスマホに触れていない。
「まぁいいか」
 思い直して丘を目指す。

 丘の上に着くと、目を瞑って伸びをした。日差しは暖かく丘の上を心地よい風が吹き抜ける。驚くほど静かだった。 
 川のせせらぎに、チュンチュンと鳴く小鳥の声、キュイキュイと鳴く虫の声、そして遠くから響き渡る牛の低音。精神が充足していくのを感じた。
 
 目を開きあたりを見渡す。この位置からだとウシュグリ村の全容を見ることができる。村の左手には川が流れ、村内には舗装されていない道が走る。そしてやはり目につくのは復讐の塔だ。朽ちてダークブラウンに変色したその容貌ゆえか、はたまたその歴史的背景ゆえか。立ち並ぶ塔郡は、大自然に抱かれた村にある種妖しい雰囲気付加し、その美しさを一層奥深いものにしているように感じられた。
 目線を更に上に向けるとそこには、雪に覆われたシュハラ山がある。少し雲が出てきたため、快晴に鎮座するその姿を再び見ることは叶わなかったが、雲の切れ間から差し込む陽の光がベールのように山を覆っていたため、かえって神々しく見えた。
 感動のあまり言葉が出なかった。圧倒的な非日常感。ジブリの世界に迷い込んだみたいだった。
 全身の感覚器官を通じて世界を捉え、身体と精神が世界へ溶け込む。

「これは現実か?」
 ふとそんな疑問が降ってきた。
 2年前の僕は東京でサラリーマンをしていたはずだ。当時サラリーマンとして送っていた”当たり前”の生活と、ポーカーをしながら世界を周ったこの2年間、そしてコーカサス山脈中腹の山村にいる今の生活とでは、断絶が大きすぎて同じ現実だと認識するまでに少し時間がかかる。各地を流転する生活を続けていたせいか、何が日常で何が非日常なのかその境目が自分の中で非常に曖昧になってきている。

 1つの疑問が理性を呼び起こし、理性が感動に浸る僕を引きずり起こす。
「夢のようだったなぁ」
 中世ヨーロッパに見られるような妖艷な美しさと壮麗な大自然の交差点で、疑問に対する答えを求めるかのように、僕はポーカープレイヤーとして旅した日々を振り返り始めた。

※表紙の画像はPete LinforthによるPixabayからの画像

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