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ポーカーで世界を旅した2年間〜第三話:わからない〜

第二話:検査〜新社会人、国と喧嘩する〜」はこちら


「お世話になっております。〇〇様のお電話でお間違いないでしょうか。この度はお預かりしている資産の返還をさせていただきたく、ご連絡させていただきました……」
 2018年夏、僕は取引所が預かっている全資産を各顧客に返還する作業をしていた。そう、僕たちは負けたのだった。

2週間の検査をなんとか乗り切ったが、その後僕らの会社は登録申請を自ら取り下げることになった。
 細かい事情は分からないが、金融庁の方とうちの偉い人たちが協議し、今回は一旦申請を取り下げ、ブランドをリニューアルし再度登録申請を目指すという方向で話がまとまったらしい。あとから聞いた話だが、この規模感の会社で最後まで戦い抜いたのはうちの会社くらいのものだったらしい。同規模の他取引所の多くは、最初の一週間で申請を取り下げたとのことだった。
 厳しい検査対応だったが、その後の話し合いは穏やかに進んだようで、何事もなかったかのように平穏な日々が戻ってきた。僕の体調も、若かったこともあってか、特に問題はなかった。強いてあげるとすると、激烈な2週間を過ごしたせいか理性と感情が摩耗しあまり機能していない感覚があったくらいだ。新卒で入社してすぐに自社サービスを閉じる活動をすることに対して悲しみが湧くこともなければ、金融庁への怒りが湧くこともなかった。

「市川くん、金融庁の方から電話が来ているよ。」
 ある日、金融庁の方から電話がかかってきた。顧客への資産返還の進捗状況について聞きたいとのことだった。会話は極めて穏やかに進み、進捗について報告しつつ全く連絡が取れない顧客への対応をどうすればよいか相談したりした。

「あの時はすみませんね。日々の業務も止めてしまった上に、厳しい検査を課してしまって。」
 一通り用件を話し終えたタイミングで、不意に、申し訳無さそうな声で言われた。まともそうな人もいるんだな。そう思った。
「いえいえ、お気になさらず。」
「僕たちも”先生方”に言われておりまして。」
「そうでしたか、それは大変でしたね。」
「引き続き、どうぞよろしくお願い致します。」
 互いにそう言い合い、電話を切った。実のところ、本当に気にしないでほしいと思っていたのか、自分でもよくわからなかった。
 毎日同じ時間に起きて、自転車に跨りオフィスへ向かう。オフィスに着くと、右奥にある自分の席に座り資産返還作業をする。お昼はオフィスそばのエスニック料理屋の弁当だ。食べ終わると仕事に戻る。仕事が終わると、再び自転車に跨り帰宅。帰宅後特に何をするでもなく寝る。そしてまたあくる日が訪れる。世間は、NEMの流出事件などとうの昔に忘れ、新たな話題に飛びつき消費している。僕だけがあの瞬間から時が止まったようだった。梅雨が終わりいよいよ本格的な夏を迎えようとする中、僕の周りの景色は灰色だった。


 
 ある日の昼休み、Twitterを見ていると金融庁対応後に会社を辞めたメンバーのtweetが目に入った。急遽、入院することになったというつぶやきだった。僕はすぐに連絡をした。命に別状はないとのことだが、金融庁対応によるストレスで体調を崩し入院することになったとのことだった。2週間の激しい検査の代償は大きかった。そのメンバーの他にも検査中に1人倒れている。そして1人は一時蒸発した。ひとまず無事が確認できたので、僕は安心してチャットツールを閉じた。

 すると突如、涙が、堰を切ったように流れ出した。突っ伏し昼寝をしているふりをして、収まるまで待とうかと考えた。しかし、感情が溢れ出し止まる気配がなかった。僕は周囲にばれないように急いでオフィスを後にした。
「わからない……」
 思考と感情の濁流の中から僕がすくい取れた言葉はそれだけだった。


オフィスを出るも、人通りが多かった。誰かに泣いている姿を見られるのが嫌だったので、オフィス街から人のいなさそう細道へと進む。しばらくすると見慣れない神社が目に入った。僕は逃げ込むように境内へ入った。名を久國神社というらしい。

 階段を数段上り、鳥居をくぐる。正面には苔の生えたコンクリートの壁、その上に木々が鬱蒼と生い茂っている。壁の向こうに公園かなにかがあるのだろうか。境内は左右に広がっており、右手には拝殿が、左手にはバネ付きの遊具が設置された小さなスペースがある。僕は左に曲がり、遊具に座った。
 境内はとても静かで都会の喧騒を忘れさせてくれた。都会のど真ん中、オフィスのそばにこんな神社が存在しているとは。
 しばらくの間ぼんやりと座ってしていると涙と感情は収まってきて、まともに思考を回すことができるようになった。これほど感情的になったのは、ましてや涙を流すなんて事態になったのは一体いつ以来だっただろうか。あまりの出来事に自分で自分に驚いていた。
 事の発端となったNEMの流出事件から今日までの出来事に思いを馳せてみた。僕の心は、みるみるうちに、嫌悪感と怒りに支配され始めた。
 確かに僕たちの準備に不十分だった点はあり、その点は認めざるを得ない。しかし、それを差し引いても理不尽すぎるのではないだろうか?
 みなし業者向けに緩めの基準を提示し、少しずつ体制の整備を進め、共に登録を目指そう。そういう話をしていたのは、国側ではなかったか?あれほどの仕打ちを受けなければならないことを僕らは何かしたか?自分の家族に対して同じことができるのか?そもそも、暗号通貨を盗んだやつは別にいるのに、なぜこれほどまでに僕らが責められなけければならないんだ?
 メディアもメディアだ。的外れの質問しかできないくせに、正義は我にありと国民を代表した顔をして、NEMを盗まれてしまった取引所の関係者を会見でボロカスに口撃している。真相の究明、今後の対策などを報じることもなく、視聴率優先の、公開処刑ショーだ。
 ユーザーもユーザーだ。ビットコインの価格が急上昇していたころは大盛り上がりだったくせに、この手のひら返しはなんだ?だいたい、リスクをとって一発当てようと仮想通貨を買ったんじゃないのか?今更何を文句を言っているんだ?取引所がハッキングされるリスクがあることなんて少し調べればわかるし、自分でウォレットを用意し、そちらに通貨を移管しておけば良いのにそんなことすらしていなかったのか?その浅慮さを棚に上げ何を国や取引所のせいにしているんだ?

 これまでの暗号通貨業界に起きていた流れを1mmも理解していない上に、自分の責任は棚に上げ文句ばかり言っているユーザー。流出事件の本質を追求することもなく単に取引所、そして国の監督不行き届きをあげつらうメディア。国民とメディアの反応に日和る政治家。政治家の顔色を伺い道義にもとる行為を行う金融庁。筋が通らない、自己保身・自己本位な行動ばかりだ。吐き気がした。
 直接対峙したからだろうか、金融庁へ抱いた嫌悪感と怒りは特に激しいもので、もはや憎しみと呼べるものだった。生まれてはじめてかもしれない。他者への復讐心が湧いた。
「これはまずい。」
 凄まじい負の感情に支配されているのを感じた。なんとかこの感情を鎮めようと気のおけない友人達に連絡してみることにした。愚痴を言うのは好きではない。連絡をするか悩んだが、このまま憎しみに感情を支配されると碌なことにならないと思い背中を押した。
 チャットをするとすぐに反応があった。話しているうちに、正確にはチャットで文章を書いているうちに、気持ちは落ち着いてきた。言語化すること、他人と話すことには感情を鎮める効果がある。そんなことを考えられる程度には冷静になった。そして、こんな後ろ向きな話を聞いてくれる友人たちの存在のありがたさをしみじみと噛み締めていた。
 
 怒りは収まった。今後どうするかについて考えを巡らす。
 今回の、当該担当者数人に復讐をするのはどうだろうか?いや、却下だ。自分の気持ちは一瞬晴れるかもしれないが、今度はその担当者の家族等が悲しむことになる。残るのはきっと虚しさだけだろう。自分の大切な人を傷つけた人々がどうしても許せなかったが、それでも、仕返しをすることによって他者を傷つけて良いとは思えなかった。

 改めて今回起きた事件について考えてみる。それまで銀行にしか資産を預けたことない人が、取引所に資産を預けたところ流出したとなれば、彼らが憤ることを理解できなくはない。儲かると思って群がる人々にリテラシーがないこと、そして何かあった際に手のひらを返して業者を叩くのもまぁよくあることだ。事件が起これば視聴率が取れるのだからメディアは食いつく。NEMの流出事件のような国民の資産を脅かす事件が発生し大騒ぎになったのであれば、国民の信託を受け政治を行う政治家としてはその声に応えるべく、当初の方針をひっくり返してでも徹底的に厳しい検査を課さねばならないだろう。行政機関たる金融庁に勤める職員は、大臣や上司の発する職務命令を忠実に守らなければならない存在だ。自身の今後のキャリアや家族等大切なものを守るために、自身が処分を受けぬように、言われた通り命令を実行するというのもわかる。そうだ理解できる。人は置かれた状況によって白くも黒くもなる。どこかの誰かが言っていた。悪は凡庸だと。

 今回発生した事象をある種構造的に理解した時、僕の中から怒りも恨みも復讐心も消えていた。残ったのは、社会というものの大きさと複雑さからくる、自分にはどうにもできないという諦念だった。

「わからない……」

 自分たちが陥った状況を引き起こした事情についてはある程度理解できた気がした。しかし、どんな事情であれ、僕たちがこれほどの仕打ちを受けなければならない理由はないのではないだろうか。

 自分および周囲の人がなぜこんな目に遭わなければならなかったのか。「わからない」という想いを解明していったその先にはまた別の「わからなさ」が存在していた。
 この世界は理性で割り切れることばかりではないのかもしれない。しかし僕の心の奥底には明晰さと公平さを求める願望が蠢いている。
 わりきれなさを主張する世界と、明確な理由を知りたいという願望の間で僕は揺られていた。

「第四話:どこに行くのか」はこちら

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