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認知症の人が倫理的な扱いをされていないこれだけの理由


今日は、認知症の人が、倫理的な扱いがなされていないことがこれだけあるということをお話しします。

先日は、医療倫理の四原則について投稿しました。

おさらいをすると、ビーチャム(T.L. Beauchamp)とチルドレス(J.F.Childress)は、20世紀になって医学的な様々な倫理的問題に対して、意見が一致しないということを認めたうえで、倫理的な意思決定の方法を生み出しました。それが、前の記事でも書いた、自立尊重(respect for autonomy)、無危害(non-maleficence)、善行(beneficence)、正義(justice)の4つに収束されたものです。

さて、認知症の人はどの程度この4原則に沿ったケアや医療を提供されているでしょうか?

1.自立尊重の原則については、「患者が十分な情報に基づいて自由に意思決定を行うことを保証し、患者の価値観や選択を尊重する」とあります。
➡本人が自宅で過ごしたいといっても、周囲の人は、本人が十分な情報を理解できない、自宅で過ごすことはリスクである、介護できないと考えて、周囲の人が施設入所を決めるような場面があります。

2.無害の法則については、「患者に害を与えないこと、これは治療や介入が患者に潜在的な害を及ぼす可能性がある場合、そのリスクを最小限に抑える」こととなっています。
➡本人が事実でないことを事実であると思い込んでいる(妄想)と判断した場合、本人を訂正したりします(スピーチロック)。それにより本人の自尊心が傷つき、本人と周囲の人の関係性が悪化する場合があります。さらにそこで本人が暴力を振るうようになると、本人の行動を止めるような身体拘束(フィジカルロック)やドラッグロック(薬物抑制)が使用されることを正当化される状況になります。当然のことならが、身体拘束は本人の精神的、身体的に強いダメージを起こします。スピーチロックであったとしても本人にとっては連続的に行われれば、囚人と同じような思いを持つ人もいます。ドラッグロックは、傾眠になり昼夜逆転や転倒、パーキンソニズムなどを引き越し、本人にとっても有害な副作用が出現します。

3.利益の原則については、「患者の利益を促進し、福祉を増進すること。疾病の予防、治療、または健康状態の改善を目指す行動が含まれる」とされています。
➡認知症があると申告すると、「これ以上の治療は無駄である」「本人の意向を無視する」ことにより、本来受けられるはずの治療が受けられなくなることがあります。

4.正義の原則については、「医療資源の公正な分配。医療サービスや治療へのアクセスが公平に提供されるべきという考え」。
➡ともすると認知症の人は、救急病院受診を断られたり、入院を拒否されることもあります。

現状として、4つすべてが同時に行われるわけではありませんが、それぞれについて、時間差で複数経験される方は少なくありません。

さて、こんな現状の中で、認知症基本法が施行されます。

共生社会の実現を推進するための認知症基本法概要

さらにまとめると、
①認知症の人々と家族が、社会の理解と支援、継続的な医療・福祉サービスを得て、地域で安心して生活できるようにする。

②教育、医療、福祉などの分野で総合的な取り組みと認知症研究の推進を行う。

ということだと思います。
現状の医療倫理の4原則に対して、現実に向き合うと、この基本法にそったかかわりが実現するまでの険しい道のりがご理解いただけるでしょう。

認知症専門医として、何千人もの患者さんを診てきて一つ言えるのは、本人への直接支援を行うことは、周囲の人への間接的な支援につながっているということです。本人の自立するための支援は、本人の意欲をかき立て、活動が活発となり、食事もとるようになります。本人が笑顔でいられるので、周囲の人の心も穏やかであることが多いです。本人に有害にならない治療は、本人の急激な認知機能、身体機能の悪化を防ぐことにつながります。本人の進行予防、健康維持を行えば、緊急で家族も職員も呼び出される可能性が減ります。公正な分配は、将来自分が認知症になったときに、同じ人として扱われることにつながるでしょう。情けは人の為ならず・・・。

まずは、こういう課題の大きさを見積もりながら、現実的にどのようなアプローチが可能なのか考え続けること、そしてトライアンドエラーを繰り返すことが大切だと思っています。




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