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「1人1人と向き合いたい」保育士兼マーケターの思いと原点/めぐみさん

はじめに

「誰かの人生の歩みは、きっと別の誰かの役に立つ―」
そう思い立って、noteでインタビューを受けてくれる人を募集した。

そうしたところ、めぐみさんからコメントをいただき、今回お話を伺えることになった。

職業は、保育士×マーケター ×個人契約の家庭教師。さらには、通信制の大学で社会福祉を学んでいる。
寝ている時間があるのだろうかと心配になるほどバイタリティ溢れるめぐみさんは、8月から新たな職場に転職し、働き始めている。
「なぜ療育(発達支援)に関心を持ったのか」「なぜチャレンジを続けるのか」、めぐみさんのこれまでの歩みとその根底にある思いを取材した。

〇めぐみさんの経歴

めぐみさんは、大学を卒業後、編集者として勤務したのちに、再度大学に進学し子どもやその家族の支援を学び、その後は療育(発達支援)の分野で働いている。さらには、個人契約の家庭教師として中学生の受験勉強も請け負うほか、ライターとしても活動する。

さらに、現在は通信制の大学にも通い、社会福祉士の資格を目指している。

また、一時は大学院にも通い、臨床心理を研究するなど、常に勉強を続けており、本人も「変わった経歴です」と笑う。

〇「生きづらさを抱える子どもを支援したい」

放課後等デイサービスや児童発達支援事業所でキャリアを重ねているめぐみさんであるが、最初に就職したのは、出版関係の会社だった。
勉強に困り感を抱えている子のための「教材」作りに関わる仕事がしたかったのが理由だという。

「大学生の頃に、発達障害や学習障害の子どもたちとキャンプをする経験がありました。その時に、苦手なことのある子どもたちが得意なことを見つける過程に関わったことが、子どもを支援する仕事がしたいと考えるきっかけになったと思います。また、家庭教師をしているときに、色々な家庭環境の子どもたちと接する機会がありました。その子たち学習支援を通じて、その子や家族がうまくいくケースとうまくいかないケースを目にして、その要因にも関心を持つようになりました」。と語るめぐみさん。
就職活動は苦労もあったというが、出版社に内定し、社会人生活をスタートさせた。

しかし、その出版社は経営状況もあり、いわゆる「勝てるビジネス」に注力していた。つまり、子どもたちのためになる教材よりも、売れる教材を製作し、販売することが優先されていたのである。こうした状況をめぐみさんは、「モヤモヤ感があった」と振り返る。
結果として、その職場を離れ再度大学に進学し、現在の本業である療育(発達支援)に関わる分野に進んでいくことになった。その中で、マーケターとしても働くようになり、個人契約の家庭教師も続けている。
幾度も転職をしているのは、「子どもたちの支援のことを第一に考えたい」という信念があるからだ。今回の転職も、以前の事業所が利益追求型であり、合わないと判断したことが要因であると話す。
めぐみさんの考えの根幹には、常に「子どもの困り感を支援したい」という思いがあるようである。

〇不登校の経験とピアノ教室

では、めぐみさんが子どもを支援したいと考える原点はどこにあるのだろうか。実は、めぐみさんは中学生のころ、不登校だった時期がある。感受性が強い子どもであり、「疎外されていた経験」をもつ当事者だった。

そうした中で、めぐみさんの拠り所のひとつになったのが通っていたピアノ教室だった。この経験をめぐみさんは、「ピアノの先生が柔軟な発想を持っていて、個性に合わせた指導をしてくれる人でした。私の感受性が強いと分かるとそれに合った曲を選んでくれたり、ピアノを弾きたくないと話したときは作曲など別のことを教えてくれたりして、受け入れてくれた感覚がありました。」と振り返る。ここで、受容された経験がおそらくめぐみさんの「困っている子どもを支援したい」という基礎になっているのだろう。

その一方で、高校はマンモス校に進学し、学歴至上主義の環境で過ごすことになった。このとき、めぐみさんは、一斉授業で高い点数だけを目指す教育に違和感を覚えたという。めぐみさんは「1人1人と向き合うこと」を大切にしているのは、こうした経験が背景にある。

〇「ずっと忘れないでいてくれてありがとう」

子どもたちの支援に関わることはとても難しいことである。成果が見えにくい部分もあるし、「もっとこうすればよかった」という後悔が募ることも多い。実際にめぐみさんも、成果が出なかったことに「申し訳ない」と感じることもあったという。こうした場面に直面したとき、環境や子どもの特性のせいにしてしまう人もいるだろう。
それでもめぐみさんは、自分に対してもどかしさを覚え、できることを探し続けた。

めぐみさんの心に残っている言葉がある。「ずっと忘れないでいてくれてありがとう。」かつて支援していた子どもの保護者からの言葉だ。
事業所の体制が十分でないと、支援員に不安や不信感を持つ保護者も出てくる。以前勤務していた事業所で、めぐみさんが支援していた子どもの保護者も、態度には出さないが悩みを抱えていた。その時、担当になっためぐみさんは、「遊びの中で気持ちを解放」できるような支援を行った。
結果として、子どもも保護者も笑顔が増えていった。その後は、子どもが特別支援学校に行くためのサポートブックの作成など、保護者と一緒に考える機会も増えていった。

支援が終わるとき、めぐみさんはその親子から手紙をもらった。
「ありがとう」
「ずっと先生が寄り添ってくれたことでちょっとずつ私も変われた」

この経験は、めぐみさんが学びを深めたいと考える原動力になっている。

のちの施設訪問で、その子と再開した。卒業後もめぐみさんは、その子を気にかけて続けていた。元気に過ごす姿を見て安心した反面、不安も覚えた。だから、こっそり手紙を出した。「ずっと忘れないでいてくれて、思っていてくれてありがとう」温かい返事が届いた。

〇「自分も変わり続ければ、何か変わるかな」

めぐみさんに今の目標を尋ねると、「児童発達管理責任者になること」という答えが返ってきた。
そこには、「子どもも親も、それぞれが幸せな人生を生きてほしい」という思いがある。
「児童発達支援管理責任者」は、利用する子どもたちの成長に合わせた個別支援計画を作成することなどが主な業務であり、事業所におけるリーダー的な役割を果たすことになる。

また、マーケターとしても、ライターとしても活動を続ける予定だ。
「困っている人に必要な情報を発信したり、会えない人にもコミットしたりできるようにしたいです。これまで力になりたくてもどうしようもなかったというケースもありました。その申し訳なさから、自分が変わり続ければ、何か変わるかなと思っています。」
めぐみさんの言葉には力がこもっていた。

活動的で、挑戦を続けるめぐみさん。その根本にはキズを負った経験があり、そのキズがあるからこその信念があった。
「1人1人に向き合う―」。真剣に向き合うほど辛くなることもあり、自分の不甲斐なさを感じることもある。
でも、だからこそ、めぐみさんはそれを大切にしている。
めぐみさんが関わったから救われた人は、きっと、たくさんいるはずだ。

〇めぐみさんが『伝えたいこと』

インタビューの最後にめぐみさんの伝えたいことを伺った。

「自分は様々な要因で不登校になり、一時期は人間不信となりながら大人になりました。でも、子どもたちと向き合うことで自分自身もたくさんのものをもらい、たくさんの経験をしました。今度はたくさんのものをくれた子どもたちのために、子どもたちの今だけでなくて、将来何ができるかずっと考えていきたいです。自分がはじめて担当した子どもは、出会った当初小学生でしたが、もう高校卒業する年になります。将来、その子を取り巻く世の中が優しい場所になっていることで、何かできたらなと願っています。」

かつて辛い思いをしたことがあるめぐみさんだからこそ、語れる言葉がそこにはあった。
めぐみさんのチャレンジはこれからも続いていく。

おわりに

この記事を見つけてくれてありがとうございます!
めぐみさんもインタビューを受けてくれる方を募集しています。

興味を持たれた方は、ぜひ応募してみてください。

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