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【自己紹介②】(自称)日本一警察嫌いの事件記者

1年生は社会部-
このしきたりのせいで、何人の若手が筆を折ったことだろう。

はじめに


記事を気に留めてくださりありがとうございます。
地方の小さなテレビ局で2年間だけ記者をしていました。
名前は『t_tea』としていますが、考え中です。

そもそもテレビ局に記者なんているの?
そう思われた方も多いかもしれません。
実際、高校の友人には何度説明しても、新聞記者だと思われていました。

アナウンサーじゃないけれども、
時々台風中継などで現場からリポートをする人を見たことはないですか?「なんかこの人下手だな…」
「全然アナウンサーっぽくないな~」
そう感じる場合は大体記者のリポートです。(勿論上手な記者もいます。)

新聞記者は新聞に載せる記事を書きますが、
テレビ記者は夕方のニュースなどで放送される原稿を書きます。
(同じじゃないの?と思われるかもしれませんが、結構違うんです。)

つまり、テレビ局の記者は
①現場を取材する。
②ニュースでアナウンサーが読む原稿を書く。
③現場の様子を中継やリポートで紹介する。

というのが、主な仕事になります。

それに加えて、規模にもよりますが、地方局の記者は
④(カメラマンが足りないので、)自分でカメラを回して取材する。
⑤(編集マンがいないので、)自分でニュース映像を編集する。
⑥(フロアスタッフが少ないので、)OA業務にも携わる。
というような仕事も抱えています。

経歴

地元公立高校を卒業、地元大学に進学、地元にある地方局に就職
年齢:20代半ば
現在の仕事:(地元とは別の)地方公務員

もともと根っから地元人間です。
地元に生まれ、地元のために働くものだと思っていました。
学生時代の経験から伝える仕事がしたいと思い、テレビ局に入社しました。

もっとも、就活の時は、東京の広告代理店などへの就職を考えていました。
地元以外のメディアは一切受けていません。
大学で外に出られなかったので、就職を機に地元を離れようとしましたが、
紆余曲折あって最終的には地元に残ることに決めました。

その後、2年間の記者生活を経て、公務員になりました。
振り返ってみれば楽しい記憶が多いですが、警察取材は大嫌いでした。

警察と懇意にして情報をとる意味が分からず、最低限の署まわりだけで、
「夜討ち・朝駆け」をしたことはほとんどなかったです。
一応、他分野で強みがあった(と思う)ので、
キャップとデスクも大目に見てくれたのではないか信じています。

とはいえ、普通の社会部だったら許されませんよね。(笑)

伝えたいこと

記者を辞めて後悔しているかと問われれば、確実にNOです。
私に社会部キャップをやることはおそらくできませんでした。
(残っていたらそろそろキャップになっていたと思います。)

ですが、もっと記者でやりたかったことはあります。
結局、記者という仕事に真剣ではなかったのだと思います。
嫌々でも社会部の期間を乗り越えて、
自分の伝えたことを伝えられている記者の方はたくさんいます。
(冒頭に記したように辞めてしまう人も体感かなりいます。)

私は逃げてしまったのです。
しかし、逃げるが勝ちという言葉もあるように、
逃げることが悪ではありません。

一方で、逃げた先が幸せである保障もありません。
公務員の仕事は向いていると思っていましたが、
「あ、向いてへんわ」と思うことの方が多いです。(笑)

ただ、記者時代に比べて遙かに時間が増えました。
(給料はだいぶ下がりましたが…)

これからの先の人生は、挑戦を続けていきたいという今日この頃です。

おわりに

というわけで、記者時代の思い出を月1くらいで書こうと思っています。

2年で辞めた人間が報道を語るなと思われる方も多いでしょう。
それはご指摘の通りだと思います。
ただ、ここに記すのは記者だった記憶を私の中に残しておくものです。

辞めてから約1年が経ち、当時の思いが消えようとしています。
その思いをなかったことにはしたくありません。
だから、気の向くままにまとめようと思います。

おそらく最底辺だった記者の記録ですが、
どこかの誰かの役に立つならそれに勝る喜びはありません。
(私も転職するか悩んでいた時に、ある方のnoteが支えでした)

またどうかよろしくお願いします!


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