「神は乗り越えられる試練しか与えない」なんて嘘っぱちだ!

「神は乗り越えられる試練しか与えない」本当か?


「神は乗り越えられる試練しか与えない」

この言葉が嫌いだ。乗り越えられない試練なんて山ほどある。生まれてすぐにコインロッカーに捨てられた赤ん坊は、どうやってその状況を乗り越えられるだろう? 1945年の8月6日にヒロシマにいた人は? 地下鉄サリン事件の被害者は?

言い切ってしまおう。「神は乗り越えられる試練しか与えない」と言う人間は、ありがたい人生論を聞かせたいか、偉そうに説教したいか、あるいはびっくりするほどおめでたい脳の構造をしているか、そのどれかだ。そんな奴に関わっても不愉快だし時間の無駄だから、この言葉が出たら私はさっさと逃げることにしている。逃げれないなら、損失が少しでも減るようにしよう。ハイハイとありがたく聞いて、馬耳東風を決め込もう。

さて、いきなりの自己矛盾だが、私はこれからありがたい人生論を語ろうとしている。逃げるなら今のうちです。

1.私が人生で選んだこと

私は大変不器用なので、歴史に学ぶということができない。自分でやってみて、痛い目に遭って初めて学習するタイプだ。手を切ってしまうまで刃物の怖さが分からない。横着をして余計面倒なことになって初めて後悔する、そんな子供だったし、そんな大人だ。いや、大人にもなりきれていない。

だから、内定もなく大学を出てみたし、ストレスのはけ口としてアルコールを大量に摂取するという選択をしたし、デリカシーに欠ける言動を繰り返して無意味に他人を傷つけたりした。それでやっと人生が大変だということ、自分はあまりにもちっぽけで、それどころか有害な人間であることもしばしばだということを学んだ。

正直なところ、歴史に学ぶ努力をすべきだったと思う。そうすればこんなにも人を傷つけずに済んだし、友達も沢山いただろうし、今ごろもっと稼げただろう。しかし、愚かなカードを選ぶというのが私のやったことだった。ザット・イズ・イット。

2.神はいるのか

閑話休題。ところで神という存在はいるのだろうか? 私はここで宗教論争をするつもりはない。誰が何を信じようと自由だ。しかし、それを他人が共有してくれると考えるのは間違いだ。もしあなたがこれを読んで、私を宗教に勧誘しようとか宗教学について衒学的な言説をご開陳するつもりなら、是非やめていただきたい。

私が思うに、神がいるとすれば、その神にとって人間は蟻んこのようなものだ。一般的な人間は、蟻んこを1匹々々見分けることができないし、個別の蟻んこの蟻生について心痛めたり心配することはない。ヴォネガットの、トラルファマドール星人と人間の関係性に近いものがあるかもしれない。

3.トラルファマドール星人

ヴォネガット『タイタンの妖女』では、ある人間がこんな風に嘆いている。

「トラルファマドール星人は」とラムファードは苦々しげにいった。「太陽系に手を伸ばし、わたしをえらび、そして手ごろなジャガイモの皮むき器のようにわたしを使ったんだ!」

これから読みたいという人に申し訳ないから、どういった経緯でこの発言が飛び出したかは申し控える。要するにトラルファマドール星人は人間より高次の存在で、彼らにとって人類すべての存在、そして人類が築き上げた歴史は蟻んこのようなものでしかないのだ。

左様、私たち人間は何者かわからない大きな力にいいように使われ、翻弄されて生きている。それを運命と呼ぼうが神と呼ぼうが自由だが、私たちは自分にはどうすることもできない状況に押し込められることが多々ある。
それはもう、どうしようもない。我々は自分で進む方向さえ選べず、大きな流れに漂うしかない。とはいえ多少の自由はある。その自由をどう使うかが、言ってしまえば人生の問題だ。

4.私が学んだこと

愚かな選択をし続けて、私はこのことを学んだ。1つ、行動により状況が多少変わることがある。1つ、その行動はたいてい、自分で起こすしかない。1つ、私は自分で考えている以上に無能で、そのうえ他者にとって有害な人間になっていることがよくある。意識して頑張ってやっと、多少親切な人間になる。

このことに気づいてから、私は多少マシな人間でいる時間が増えた。加えて、以前より生活が多少楽しくなった。これだけの時間をかけて学んだにしては少ないかもしれないが、私にはこれしかできなかった。それでも、学ぶ価値はあることだと思う。

5.おわりに

さて、ここまで読む人はあまりいないだろうが、読んでくれた人にはお礼申し上げます。「なんだ、当たり前じゃないか」と思われた方、時間を奪ってすみません。「何を言ってるんだこいつは」というご感想を抱いた方、そんな考えがあってもいいじゃないですか。「確かにそうだよな」と思った方、本当にありがとう。

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