清明 * 法螺貝の男
三年前の春、祭りが終わって祭器具を片づけていると、首から法螺貝をぶら下げた男がやってきた。
「私は法螺貝を吹く者なのですが、このあたりで吹いても大丈夫でしょうか」と言う。
ああ、奉納演奏をしたいのだな。と思い、
「拝殿に上がられるのでしたらお祓いをしますので片付け終わるまでお待ちいただけますか」と答えると、
「いえ、そうではないんです、隣の公園で吹こうと思っているのですが」と法螺貝の男。
「それならいいんじゃないんですか、今は昼間だし、お天気もいいし、文句言う人いないと思いますよ」
と私が言うと、法螺貝の男は、首から下げた法螺貝を両手で抱え持ちして
「大丈夫かなあ‥こういう街中で吹いたことがないから‥」
と、もじもじしている。
どうやら人里離れたところからやってきたらしいので、とりあえず、「どちらから来られましたか」と聞くと、法螺貝の男は「出羽三山です」と言った。
出羽三山! それは山形県の中央にそびえる月山・羽黒山・湯殿山の総称で、明治時代まで神仏習合の権現を祀る修験道の山だったところではないか。このへん(関西)の人たちにはあまり馴染みがないが、関東から来た私はなんとなく知っている。東北地方の聖地として古くから知られる日本屈指の霊場だ。彼がそこから来たと名乗ったということは、今で言うところの「ガチ勢」の表明である。でなかったらふつうに「山形県です」と答えて私の頭の中はさくらんぼでいっぱいになっただろう。
そこへ、斎庭の玉砂利をととのえていた巫女Sが、顔を輝かせて走ってきた。
「桃虚さん! どうみても蟻なのに足が八本ある生き物がいます!」
「足が八本なら蜘蛛なんじゃないのか」と私が言うとSは
「いや、どうみても蟻です、こう、こういう、こういう形の」と言って蟻のフォルムをいっしょうけんめい手で表す。
「じゃあ、蟻だな」
「でも足が八本です」
「じゃあ蜘蛛だ」
「蜘蛛じゃないです。絶対」
「じゃあ謎の生物だ、UMAだな」
「UMAですね」
SはUMAの発見を私に報告できたことが嬉しくてたまらないという様子だ。
当時、私は苔の中に住んでいるクマムシを観察するため、境内や近所の道路の苔をすこし採取しては社務所でしばしば顕微鏡を覗いていた。三月に自分へのプレゼントとしてちょっと良い顕微鏡を買ったのである。乾眠と復活を繰り返すクマムシについて考えることは、そのまま「生とは」「死とは」という哲学的思考につながってゆくのだから、神職として真っ当な行為だと思うのだが、S以外の巫女たちにはあまり響いていないようだった。が、大学一回生のSだけは、外の掃除中に目の当たりにする生き物たちのいとなみについてあれこれ考察しているようで、Sと私はその手の話が通じるのだった。ゆえに、UMA(謎の未確認生物)についても、すぐ通じたわけである。
法螺貝の男は、私たちがUMAの発見で盛り上がっている間、所在なさそうに法螺貝を触っていた。Sの見つけたUMAが何であるのか一刻も早く確かめたかった私は、
「今吹いちゃって大丈夫だと思いますよ」
と、公園の方を向いて彼をうながしてみたが、
「音がね、大きいんです」
と、まだもじもじしている。
なぜだろう。もしかして一緒についてきてほしいのだろうか。と私は考えた。
神社の隣の公園は市のもので、神社の管轄ではないし、端っこに交番(このへんの人たちはポリボックスと呼ぶ)もある。山伏風の男性が突然法螺貝を吹き出したら、警察官がポリボックスから飛び出してくる可能性もあるだろう。当然だが警察官も大阪弁である。「あかんよーこんなとこでおっきい音出したら」と優しく言われても、それが大阪以外の人間にとってはナニワ金融道に出てくる怖い人にしか見えないというのは、よそ者上がりの私にはよくわかるのだ。
だが、そこに装束を着た神職がいれば、桜の下で将棋をしているおっちゃんも、大阪弁の警察官も、何となく「あ、お宮さんが何かの神事してはるんやな」ぐらいに思って、一曲(という単位が法螺貝にあるのかどうか知らないが)吹くくらい大目に見てもらえるのではないか、なんて、法螺貝の男は思っているのではないだろうか。大阪の人なら「お巡りさんになんか言われたらかなんし〜ちょっとついてきてくれへんかな〜」と言えるだろうが、奥ゆかしい北国の人はそんなことが言えないのかもしれない。
そこで私は、ことによっては付き添っても良い、ぐらいのニュアンスをこめて、「それ、どのぐらい大きい音がするんですか」と聞いてみた。だが、彼の返答は予想外だった。
「十和田湖で吹いた時には、霧が晴れました」
私は5秒ほどそれがどういう意味なのか考え、彼は音量のことを言っているのではなく、音の力について言っているのだなと理解した。野球で言うところの威力のある球ということだなと。その威力が公園近隣の人々、家々、このあたりの気候に影響を及ぼしてしまうかもしれないが、この土地の神を祀っている神社のあなたはそれを許可しますかという意味なのだと。だが、それは私が判断できることではない。
そこへSが実に軽やかな調子で
「たしかに。法螺貝の音って目立ちますよね」
と、UMAの話は一旦置いて入ってきた。私は若干まずいな、と思ったがここは様子を見ることにした。
「私の元彼が、むかし携帯の着信音を法螺貝の音にしてたことがあって。一回電車の中で鳴ってしまって、全員こっち見てました」
それはたいへんほほえましい話ではあったが、法螺貝の男は何も言わず、Sの顔も見ず、ただ私を真っ直ぐに見つめている。私は、Sごめん、とりあえずスルーする、と心で叫びながら、法螺貝の男に
「一時から祈祷の予約が入っていますので私どもは失礼します。法螺貝は吹いて大丈夫だと思います」
と言って、Sとともに社務所の中に入った。
それから私たちはSが携帯で撮影したUMAを確認。
どうやらUMAではなく「アリグモ」という生き物であることがわかり、その生態についてひとしきり調べて知り、神社は変わった生き物がいるもんですねえなんて話をしているうちに一時間ぐらい経ったが、法螺貝の音は一向に聞こえてこなかった。その日一日何となく気にしていたが、結局法螺貝の音は聞こえてこなかった。
二十四節気 清明 新暦四月五日頃
*鳥曇(とりぐもり)
清明は、北方から渡ってきて日本で冬を過ごした渡り鳥が、また北へ帰る頃。雁の群れが曇り空を飛んでいるさまから、この時期の曇り空を鳥曇という。
法螺貝の男も北へ帰る途中だったのだろうか。
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