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不確実性と儀礼に見るITシステム

不確実性の時代と言われて久しい昨今。柔軟性や敏捷性に解を求めてきた私たちですが、文化人類学の視点からこれを分析したアルジュン・アパドゥライの近著『不確実性の人類学』を読めば、歴史的に人がどのように未知の将来に備えてきたのかが分かります。それは魔術や宗教を頼って、儀礼が大きな役割を担ってきたと言われていますが、今のビジネス、特にITシステムの思想にも同じ考え方が当てはまるのではないでしょうか。

 2008年のリーマンショックを見事に言い当てたとして、ベストセラーになった書籍『ブラック・スワン』。存在するはずの無い「黒い白鳥」がもし見つかったとしたら、その事実が社会に与える衝撃は計り知れない。実際、黒鳥は1697年にオーストラリアで見つかっている。だからウォール街出身の著者、ナシム・ニコラス・タレブは起きうるはずの無い金融危機に警笛を鳴らしていたのだ。そして、この間の金融取引で莫大な利益を稼ぎ出すことによって、自らの論の正しさを証明してみせた。

 このことは金融トレーダーだけでなく、企業の経営者をはじめとする多くの人々に驚きをもって受け入れられた。何故なら「起こりえないこと」に備えるという発想はそれまで重視されてこなかったのだから。

 「起きうること」に対しては、それがどの程度の確率で発生するのか、もし発生した場合にどれだけの影響があるのか、という分析に基づき対策が決められる。発生確率や影響度の測れない複雑な事象は、単純な個別事象への分解によって把握されなければならない。ここにはデカルトの『方法序説』に始まる西洋の科学的思想、すなわち全体を個の集合と捉える姿勢が現われている。結果として導かれる回避・転嫁・軽減・受容の4分類はいわゆるリスクマネジメントの手法として広く認知されているけれど、発生確率が0%のものはリスクとして見做されない。それは「起こりえないこと」として、不確実性と定義されるのだ。

マイナスリスクへの戦略(PMBOKより)
・回避:リスクの影響が及ばない代替策を実行する
・転嫁:リスクの影響や責任の一部または全部を第三者に移す
・軽減:リスクの発生確率や影響度を許容可能なレベルに抑える
・受容:リスクが発生した時点で対処するために費用や時間の余裕を持つ

 この発想はタレブのオリジナルでは無くて、アメリカの経済学者フランク・ナイトは、1921年の著書『危険・不確実性および利潤』において、「リスク」と「不確実性」を明確に区別している。前者が数学的な確率に基づき予測可能である一方、後者は確率を与えることができない推定。測れないものは評価できないという西洋文化が、リスクばかりに着目してきたのも仕方がない。売上だって、株価だって、全てが数値で表現されている。

 新型コロナウイルス感染症の拡大をブラック・スワンではなく、ウイルス発生当初におけるリスク管理の失敗だと説くタレブだけれど、今のつながる世界に、可視化されない相互依存の高まりが「起こりえないこと」を身近にしたと警告する。では、不確実性をどのように対処すべきなのだろうか。

 文化人類学者アルジュン・アパドゥライは人類の歴史を振り返り、「儀礼」にそのヒントを見出している。リスク対策が数字を信じることだとすれば、不確実性対策は社会を信じること。宗教的儀式やそこから導かれる社会習慣は、確実性と不確実性の上演によって、社会に信頼をもたらしているというのだ。例えば、お盆に親戚一同が会して先祖を弔う儀礼は、誰かが来られない不確実性や、そもそも天災等によって執り行えない不確実性を有している。一方でその地に毎年集うことで、確かにそこにコミュニティが在り、自分が属していることを認識させてくれる。それは意図せず、不確実なものを確実なものへと変えるだろう。アバドゥライはこれを儀礼の機能的性質と呼んでいる。

 ITシステムの世界においても、不確実性の排除はどうしても宗教的なものを頼ってきた。クラウドが一般化する以前、まだオンプレミスの環境に多くのサーバ機器が並んでいた時代には、サーバルームに神札が置かれていることがよくあったし、今でも大規模なシステムのカットオーバー前にはプロジェクトメンバー皆で御祓に行くことが多い。どれだけ確実に可用性を作り込んだとしても、正副両系の機器が同時に壊れる可能性は0%にできないのだから、最後は神頼みにならざるをえない。

 同様に「おまじない」と呼ばれるエンジニアの行為も多い。これはWindows Serverの再起動であったり、ホスト名の大文字小文字の使い分けであったり、技術的な理解が有ればその実施有無が他に何ら影響を与えないことが自明なのだけれど、心の安心のために、念のために行われるプロセスを指す。その殆どは以前には影響があったけれど、今は無影響化されているものだったりする。つまり、過去を今に伝える手続きなのだ。システムの中に古い仕様の残存、いわば負の遺産が作り込まれている可能性もあるのだから、習慣化が不確実性の排除に寄与する。

 これをさらに大きく捉えれば、企業内のIT部門がよく抱く「他社はどうしているのか」という疑問に帰結する。不確実性の残るシステムの実装方式や運用手順に対して、どこまでの対策コストを投じるべきなのか。他社に倣って同じレベルを維持することで一定の安心を得ることができる。万が一に「起こりえないこと」が発生したとしても社内外に説明がつく。それはある種のコミュニティに対する帰属意識として、「儀礼」に似た機能を果たすのだろう。社会的責任を果たすことが世界全体の不確実性を下げることにつながるのだ。

 例えばコネクテッド・インダストリーズの体現として、多くの企業システムがつながる現状において、もしも一部にセキュリティ上の脆弱性を孕んでいたならば、そこからの情報漏洩がバリューチェーン全体に多大な影響を与えてしまう。古くは道徳心と呼ばれていた「当たり前のこと」を行おうとする精神が社会的責任に言葉を変えて、今また重要視されているのだ。タレブが言うように、その一部を規制やルールとして、国家機構に組み込む必要もあるだろう。しかしそのつながりが国境を越える中、自国の対応ばかりを待ってはいられない。同じ思想を持つコミュニティを信頼することが先決なのだ。

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