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システム屋の視点から建築情報学にふれて

建築情報学という新たな学問分野が立ち上がろうとしています。建築家・豊田啓介氏はこれを「建築をデジタル技術による広がりの先に再定義するための理解や技術の体系」と定義しています。近刊の入門書『建築情報学へ』を読めば、情報の実務に携わる立場からも、建築との距離は急速に近づいていると思うのです。

近くて遠い建築と情報

 情報システムの世界には、建築の要素が多く取り入れられている。システムの構造をアーキテクチャと呼び、これを効率的に作り上げるために規格化やモジュール化が進められ、結果として生み出された分業体制が大規模なシステム開発を目的に、ITゼネコンとも揶揄される多重下請けの業界構造を編み出した。わずか数十年前に生まれた新しい概念を早期に展開・定着させるためには、長い歴史の中で培われてきた建築の仕組みに倣うのが最短経路だったのだ。

 大規模な建造物と情報システムとは、オーダーメイドの1点ものであることを前提に、完成までに多くの人手と時間とコストが掛かる点で共通している。だから一様に扱うことができると思われがちだけれど、明確な違いがある。それは物質性だ。建築物は当然に目で見ることも、手で触れることもできる。しかし情報システムはハードウェアを除いて、大半がソフトウェアという電磁的なものから成っているため、実際には触ることができない。システム・アーキテクチャのほとんどは実体が無いと言える。

 人は実体の無いものを把握することが苦手だ。建築であれば着工前に模型やパース、3D CADなどを用いて完成イメージを共有することができるけれど、情報システムにおいては企画書や設計書・仕様書といったドキュメント類がすべてであって、これらを読み解こうとするとそれなりの知識や経験が求められる。近年は動画やモックアップを使って、早期にイメージ化を図るケースも増えたけれど、その対象は表面的な機能に限られ、裏側の仕組みまでを仮実装するためには本来の開発と同じだけの作業が必要となるから難しい。適切なプロセスを踏んでいないと、実際に出来上がってから、こんなはずじゃなかったということも多い。

 完成した後でも比較的、柔軟に修正できてしまうという特性が、これに拍車をかけているような気もする。柔軟さは曖昧さを許容する。これを逆手に、走りながら考えるアジャイルという開発手法も生み出された。結果、手戻りが許されず、しっかりと仕様を固めることが習慣の建築業界とは距離が開いていく。実際、過去にビルの建設段階からビル管理システムの導入を支援させていただいたケースでは、途中、システム側の要件変更に伴って、建屋内に敷設するネットワークケーブルの数を増やそうとして断られた経験がある。場所が悪かったのか、出来上がった壁に穴を開けることは認められなかった。建築業者からすれば、一度決めたことを気軽に変えようとするシステム屋は信用できないに違いない。

建築物と情報システムの関係性

 建築情報学は、建築物を情報として扱おうとするものだ。企画から設計、調達、施工管理まで、すべてのプロセスをITで実施することが一般的になった昨今、その対象をデータ化し、一気通貫で管理しようとする流れは当然だ。これによって各工程を担当する事業者間の情報連携が円滑に進み、納期短縮やコスト削減につながる。その効果は利用対象が増えれば増えるほど高まるだろう。例えば先に挙げた事例のようにビル内に情報システムを組み込む際に、その仕様をすり合わせながら設計が進められたとすれば、手戻りなく、より効率的な実装が可能だっただろう。建屋内の電力や空調、セキュリティを管理するITシステムは、今後より一層、建築物の一部になっていく。

 ここまでで、建築物と情報システムの関係性は大きく2種類あることが分かる。建築物自体を情報として管理する「BIM(Building Information Modeling)」などの情報システムと、建築物が生み出す情報を管理する「BEMS(Building and Energy Management System)」などの情報システムだ。前者は主に建築物が完成するまでの、後者は建築物が完成した後の情報管理とも言える。これらは今後の統合が期待されている。

 建築物のライフサイクルは長い。一度作られた建物は、40年以上にわたって維持運用されていくことが一般的だ。その間、持ち主を変えたり、利用用途を変えたりすることがありながらも、修繕を繰り返し、継続して使われていく。設計図書は建築士法などによって15年間の保管が義務付けられているけれど、それよりも長い期間のデータをシステムで一元管理することによって円滑なメンテナンスが可能となる。ここにビル管理システムが持つ、設備の利用状況を可視化するデータが合わされば、その時々に合わせた改修の方向性が見えてくるだろう。

 例えば、新型コロナウイルスが蔓延する現在においては、建物内で感染が拡大しないよう、人の動きと空気の流れを最適化することが求められている。建物全体でこれが可視化されたとしたら、次にどのような改修が必要なのか、その場合の他への影響はどうなのか等を簡単にシミュレーションできるかもしれない。

 一点課題なのは、情報システムの寿命が5〜7年程度と建築物に比べて圧倒的に短いことだ。変化の早いITの世界において、長期的に同じデータフォーマットを維持することは意外と難しい。以前に、大規模なプラント施設の建設プロセスを管理する情報システムの導入を支援させていただいた際には、これが課題となって、仮想化技術によってハードウェア層を抽象化して延命したケースもあった。情報システムの維持運用を外部に委ねるクラウドサービスを活用しても、その仕様が複数年にわたって変わらない可能性は極めて低い。

建築と情報の統合の流れ

 将来、建物ごとに集まった情報は都市の単位で共有される。人やモビリティ、エネルギー、お金などの様々なフローが集約され、分析され、価値が醸成されていく。その際のプラットフォームは都市OS(Operating System)と呼ばれている。ここにきて、情報システムのアーキテクチャの根底を成すOSという言葉が建築サイドに転用されたことは興味深い。社会全体のデジタライゼーションが進み、かつて建築から多くを学んだ情報システムの世界はその思想を社会に返したのだ。

 変化は身近なところから始まっている。建築をよく特集するカルチャー雑誌『Casa BRUTUS』は2021年2月号において、Webサービス『TECTURE』とコラボレーションし、専用アプリを使うことで、誌面に掲載された間取り図の上にAR技術で建物を再現したり、写真に写る住設機器やインテリア用品に関する詳細データの閲覧を可能とした。これらの情報がもし一元的に管理されているとすれば、設計の段階から内装設備の組み込みを意識できる。昨今の建築ブームの背景には、建築とデザインの境界の曖昧化があるだろう。スマートスピーカーに始まる一般住居のスマートホーム化が埋め込み機器や屋内配線の要件を増やし、これを推し進める可能性は高い。都市OSに接続される対象は次々に増えていく。建築と情報は溶け合っていく。

つながりと隔たりをテーマとした拙著『さよならセキュリティ』では、「7章 内と外 ー境界」において、建築と情報セキュリティの関係性について触れております。是非、お手にとっていただけますと幸いです。

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