女性の権利を守るのは|お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード
衆議院選挙の投票日を週末に控え、各党の政策が比べられています。いまだ女性アイドル出身の候補者を並べてアピールするような政党もあって、いつまでマッチョな男性社会を続けるつもりなのでしょうか。あるべき社会を目指すためには、女性の権利を守るのが男性だという傲慢さを捨てるべきだと思うのです。
2022年6月24日、アメリカ連邦最高裁が49年前の自らの判決を破棄した。ロー対ウェイド判決(Roe v. Wade, 410 U.S. 113(1973))。人工妊娠中絶の合憲性を保証していた判決の覆りに、世界中の人々が衝撃を受けている。今後、実際の判断は各州に委ねられるけれど、少なくともトリガー法が施行される13の州では中絶が禁止されてしまう可能性が高い。妊娠・出産を自らの意思で判断できる女性の権利が脅かされようとしている。この緊急事態にジョー・バイデン大統領は「極端な思想が具体化した、最高裁による悲劇的な過ち」と述べ、中絶を規制する州から許容する州への移動を保証するという。そして、妊娠初期に用いられる経口中絶薬の流通が妨げられてはならないとした。
この経口中絶薬をめぐっては、日本国内でも論争が起きている。英ラインファーマからの申請を受けて承認審査を行う厚生労働省が、服薬にあたって、配偶者同意が必要との見解を示したのだ。根拠は母体保護法。今も妊娠中絶手術に配偶者の同意が必要という事実が広く知れ渡ると、この撤廃に向けて8万2千人もの署名が集まっている。女性が自身の体に関わる重大なことを自分で決められない理由はなぜなのだろうか。同性婚を認めない日本の法律において、同意を得るべき配偶者とは男性を指す。どうしても女性を管理したがる男性社会の悪性が作用しているのだろう。
英文学者・北村紗衣氏の近著『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード』(文藝春秋、2022)を読めば、その根深さが見えてくる。マンスプレイニングに触れた過去の論考にて、女性参政権運動の指導者キャリー・チャップマン・キャット(Carrie Chapman Catt)の1917年の演説を引き、「フェミニズムは長きにわたり、男性の方が女性自身よりも女性のことをよく知っているので、女性は男性の言うことを聞くべきだ、という考えに抵抗してきた」と説く。それから100年以上が経ってようやく、男性は今の社会が「男性社会」でしかないことに気付きはじめている。これまでの常識を男だけのルールだと覆されることに怯えているのだ。
フェミニストを名乗る北村氏は、これを男性個人の問題にはしていない。「男らしさ」の問題と捉え、社会的に作られたものであると示す。先ほどとは別のテキストにて、ジャーナリスト、レイチェル・ギーザ(Rachel Giese)の著書『ボーイズ』(DU BOOKS、2019)を紹介し、「伝統的なジェンダーステレオタイプのせいで、学力不振、退学、暴力犯罪などが「男の子だから」として見過ごされたり、きちんと批判・分析されずに単に不安を煽るだけのような形で放置されてきたりした」と読み解く。そして「男らしさに関する固定観念のせいで、男の子は相当な不利益を被っている」と述べる。男性社会は男らしくない男性を排除し、男性社会を強化してきたに違いない。
企業において、女性の管理職比率を上げようとすると、昇進したい女性がいないと言う人がいる。女性のことを男性が決めてはいないだろうか。男性社会で活躍する女性に男らしさを求めてはいないだろうか。そもそも全社員に占める女性の割合が少ないのだから仕方がないという人もいる。生まれてくるタイミングでは男女半々にも関わらず、短大を含む大学進学率は女性の方が高いにも関わらず、社内には男性ばかりがいる現状を不思議に思わないといけないのではないだろうか。今さら男性の方が優れているだなんて思っている人は少ないはずで、男性社会の基準だけで共に働く人が選ばれている。もう丁寧に女性の声を聞いている場合ではないのかもしれない。
女性の声を聞こうとする姿勢は、相変わらず男性が判断することを前提に置いている。だから上手くいくはずもない。男らしさが一部の男性をも生きづらくしているとすれば、それはもう、女性に舵取りを任せるべきタイミングに来ているのだろう。女性優遇が過剰かどうかも含めて、女性が判断すればよい。女性の権利を守るのは男性社会ではなくて、本来の社会でなければならないと思うのだ。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?