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人は経験で見る|目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

伝えることの難しい時代に、文筆家・川内有緒氏の近著『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』を読めば、経験の共有がコミュニケーションの本質だと思えてくるのです。

 結論から先に、短く簡潔な文章で、できるだけ早く返信を。効率性ばかりを重んじるビジネスの世界のルールに慣れてしまった私たちは、それ以外の場面でも深いコミュニケーションを失いつつある。日々、友人たちとはLINEのスタンプで会話し、Instagramのストーリーで話題を共有しあう。電話が相手の時間を奪う身勝手なツールだと蔑まれるようになったのは、一体いつからだろうか。通話機能を忘れかけたスマートフォンでTwitterを開いても、140文字に満たない短文からはその文脈が捉えきれず、つい言葉尻だけを一人歩きさせてしまう。

 そんな時代だからこそ、意見の割れやすいセンシティブなテーマに対して、しっかりとしたコミュニケーションで意思表示することの大切さを教えてくれるのが、文筆家・川内有緒氏の近著『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)だ。目を引く長いタイトルは決してバズりを狙ったものではなく、本当に「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」ことが綴られた本だったりする。全盲の人が絵画を鑑賞するはずがない、触れる作品の方が良いはずだ、もし絵の前に立てば正確な説明を求めているに違いない。川内氏は自身の無意識の思い込みを次々と露わにしている。これらはどれも、Twitterのつぶやきであれば非難が集まっていたものだろう。

 しかし私たちの多くが体験したことのない出来事を通じて、自身の誤りを誠実に改めていく川内氏の態度は反感どころか、共感を呼ぶ。誰しも同じように、少なからず偏見を持っているものなのだ。それを公に認めることが難しい社会に立たされている。ともすると、白鳥さんだって批判されかねない。静かな美術館で同行者に何が見えるかを問い、外で深酒をしては警察に送り届けてもらったこともあるという。昔ながらの悪習を引きづり、残念ながら、目の見えない人が見える人と同じように暮らすことをわがままだと捉える人がいる。

 では、なぜ二人は心を通わせることができたのだろうか。紹介してくれた共通の友人の手前、遠慮がちに始まるコミュニケーションは、アートを前に好き勝手に語られる川内氏らの感想によって徐々に深められていく。そしてすぐに一緒に旅をする間柄になる。この過程において、氏が気づく本質が面白い。人は目で見ているのではなく、経験で見ているというのだ。同じ作品を見ているはずなのに、人によって見え方が全く違うのは、その人なりの解釈がなされているからに他ならない。これこそが無意識の思い込み、すなわち偏見なのである。視覚に頼らない作品鑑賞を通じて交わされる密なコミュニケーションが、意図せず経験の共有を生み出し、立場の違う二人の間に信頼関係を醸成したのだ。

 効率性重視の表面的なコミュニケーションでは、その裏側にある経験が伝わらない。これによって物別れに終わっている議論も多いだろう。その人の発言を受け入れられなくても、経験を否定することはできない。互いに同じものを見ているからと言って怠る経験の共有が、今のギスギスとした社会の根底にあるのではないだろうか。ビジネスの場だってブレインストーミングのように、他人の意見をただ受け入れる機会を積極的に設けようとしている。今改めて、コミュニケーションのあり方が問われていると思うのだ。

 一方、白鳥さんの考えは決してすべての目の見えない人の意見を代表するものではない。この点を取り違え、また無意識の思い込みを増やさないように気をつけたい。

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