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コンテクストデザイン・シンキングとしてのSFプロトタイピング

読書ばかりが捗る外出自粛中の大型連休。渡邉康太郎さんの『コンテクストデザイン』は今後のデザインの方向性を示唆する興味深い一冊でした。デザイナーではない私たちがそれをビジネスに当てはめようとすると、デザインシンキングの先に、コンテクストデザイン・シンキングとでも言うべき手法を考える必要があると思います。でもそれって、実はSF作家・樋口恭介さんの言う「SFプロトタイピング」なのかも知れません。

 Takramのディレクター・渡邉康太郎氏が提唱する「コンテクストデザイン」は、誰もが表現者になりうる時代に、作り手と使い手が共に(=con)編む(=texere)ことを促す。これは従来の良いデザインを、使い手に対する無意識のアフォードだとすると、デザイン行為自体の放棄とも取られかねない態度だ。何に使えば良いのか分からないモノに、どうして私たちは価値を見出すことができるのだろうか。

 同氏の近著『コンテクストデザイン』によれば、人は「誰もが理解できる価値」に対しても、「誰も理解できない価値」に対しても、共に語るモチベーションを持たないという。これは感覚的にも受け入れやすい。前者は「これ、いいよね。」「いいね。」で会話が終わってしまうし、後者は「これ、分かんないね。」「分かんないよね。」で、そもそも会話が始まらない。従来型のデザインは「理解できること」を軸に善し悪しを判断していたために、成功しても、失敗しても、使い手の語る機会を奪っていたのだ。語ることは、表現することとも置き換えられる。

 一方、コンテキストデザインは、使い手を表現者に変えることに主眼を置く。すなわち、「誰もが理解できる価値」と「誰も理解できない価値」の間を目指し、語るための余白を作り込もうとする。それは例えば「時間の測れない砂時計」という形で具現化されている。作り手すら何分で落ち切るのかが分からない砂時計は、誰もが基本機能を理解しつつも、使い手次第で用途が変わる。一人で日々の仕事の前のルーティンに使っても良いし、皆でアート作品としてただ眺めるだけでも良い。定められていない目的が余白となって、作り手も想像しきれない、無数のストーリーが引き出される。

 なるほど、このアプローチをもう少し広く、ビジネス全般に適用することはできないだろうか。

 不確実性の高い事業環境において、イノベーション創出のために立ち上がったデザインシンキングという手法は、未だ大きな成果を上げられないままに、すっかりと影を潜めてしまっている。その原因を、元となった従来型のデザインアプローチ自体に問うのであれば、コンテクストデザイン・シンキングとでも呼ぶべき、次世代型の事業創出手法を検討すべきタイミングが来ているのかもしれない。「誰もが理解できる価値」を求めるデザインシンキングは、人間中心の掛け声のもとに繰り返されるプロトタイピングによって、結局は在るはずの無い唯一の答えを導き出してしまっているのだ。

 渡邉氏は「語るための余白」をデザインするために、強い文脈と弱い文脈の階層構造に着目する。先の砂時計に照らせば、強い文脈は一定時間で砂が落ち切るという作り手が定義した機能。弱い文脈は、使い手が自身の生活の中に見出す実際の用途である。共に編むことを目的としたこの概念を、デザインシンキングに付与するとどうなるのか。

 ここでは、SF作家・樋口恭介氏がデザインシンキングの新領域として実践する「SFプロトタイピング」に着目してみたい。その一切は同氏のnote記事に詳しいけれど、総務省やNECも取り入れるこの手法は、フィクションを前提に、ロジックを傍において、皆で未来を妄想しようというものである。もちろんアウトプットがただの御伽話では用を成さないのだから、デザインシンキングに特有な発散と収束を繰り返す必要はある。そのプロセスにおいて、作家や研究者などの専門家を交えたフィージビリティの検証が行われるのだという。

 ここで作られる物語は強い文脈となる。そして読者は弱い文脈として、それぞれのサブストーリーを生み出すことができる。企業の中でひとつのストーリーが出来上がれば、各製品担当者はそこから派生する様々なエピソードを編むことができるのだ。これが市場に出る際には強い文脈となって、実際の使い手はそこに自身の弱い文脈を作ることになる。文脈間の移行は、『コンテクストデザイン』にも書かれているとおり。この間に誤読があっても面白い。使い手が主役なのだから、物語は必ずしも一貫している必要はないのだ。

 コンテクストデザインも、SFプロトタイピングもまだ試行段階にある。しかしその間につながりがあるとすると、両者ともに的外れなアプローチではないと言えるだろう。今後の動向に注目していきたい。

つながりと隔たりをテーマとした拙著『さよならセキュリティ』では、「11章 はやさと深さ ー経済的発展からの脱却」において、余地余白のデザインについて触れております。是非、お手にとっていただけますと幸いです。

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