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空を見上げてみれば|空間コンピューティング

最新のXRヘッドセットデバイスであるApple Vision Proがいよいよ日本でも発売されました。この後の未来にどのような影響を与えるのか。最近のリアルなイベントの魅力と比べてみれば、いつの時代もどこに力があるのかを明らかにしておく必要があると思うのです。

 この7月に市政100周年を迎えた神奈川県川崎市は祝賀行事として「かわさき飛躍祭」を開催した。サッカーJ1リーグの強豪・川崎フロンターレが記念試合としてUvanceとどろきスタジアムにサンフレッチェ広島を迎え入れた他、川崎にゆかりあるアーティストがライブを行ったり、航空自衛隊のブルーインパルスが展示飛行を行ったりと、その賑わいは他県にも波及する勢いだった。特にブルーインパルスは球場を中心に、南は横浜から、北は東京の渋谷や新宿の上空まで長く航路を取ったことで、多くの人々の目に触れたことだろう。もちろん、賛否あることは分かっている。それでも徐々に近づいてくる飛行音を耳にすれば、誰もが空を見回してしまう。そして一糸乱れぬ飛行編隊が目の前をあっという間に過ぎ去ると、素直にかっこいいなぁと興奮してしまうのだ。

 テクノロジーの進化に囲まれて暮らす私たちは、見慣れないものを見ることに慣れつつある。映画館の巨大なスクリーンに飛び込んで触れてきたバーチャルな世界は、個々人のスマートフォンへと持ち出され、AR技術を通じて現実世界に投影されるようになった。誰かが描いた空想が、すぐに目の前に立ち上がってくる。さらにはAIがカモフラージュしているかもしれない時代を生きていれば、日々、新しいものに出会う可能性も高まるだろう。いよいよ日本でも発売が開始されたApple Vision Proがこれを加速しようとしている。空間コンピューティングの名のもとに、360°の視野で広がる仮想現実の中に身を置くことで、例えば、離れた友人と向かい合って話をすることができる。ただし相手が生身の人間とは限らない。AIのエージェントかも知れないし、これが生み出す過去の偉人かも知れない。

 同じように、仮想空間の中でブルーインパルスを飛ばすことは難しくない。だとしたら、XRヘッドセットディスプレイを着けて、空を見上げることによって、いつでもブルーインパルスの勇姿を眺めることもできるだろう。機体をT-4練習機から零戦に置き換えることだって、スターファイターに見せかけることだって容易いことだ。テクノロジーは距離だけでなく、時間をも超えてくれる。すべてを目新しいものとして、この肌で感じることができる。それでも私たちは現実世界で曲芸飛行を続けるに違いない。なぜだろう。いまさら、リアリティが足りないとでもいうのだろか。レッドブルのチームが最高時速350kmのドローンを使って、MotoGPのバイクを追跡、空撮した映像を一昔前のテレビゲームの画面だと勘違いしてしまうほどに、人間の感覚は当てにならないにも関わらず。

 雑誌『WIRED』日本版は最新号Vol.53で空間コンピューティングを特集する。中でもAR開発者・川田十夢氏とアーティスト・日比野克彦氏が、VR作品を2万年前のラスコーの壁画(Lascaux)につないだインタビュー記事が面白い。洞窟内の灯りを消すと周囲は完全な暗闇に包まれることから、当時のクロマニョン人は炎の光だけを頼りに壁画を描いた可能性が高いという。揺らぐ視界が独特の空間表現を生み出すばかりか、何も見えないからこそ描ける世界があったのかも知れない。それは自身がMeta Questを使って仮想空間に絵を描き続けた結果として得られた感覚に通ずるというのが日比野氏の見解だ。ここではない場所で「自分が体験したことがないことを身体が覚えている。そうすると、その覚えた身体が普段描けないような線を現実でも描くようになる」。バーチャルとリアルは相互に引き合うようだ。

 私たちは気持ちよさそうに空を舞うブルーインパルスを目で追いながら、パイロットが見ている景色を想像する。パイロットにのしかかる荷重を想像する。もちろん実際に経験したことのないそれらを、正しく捉えられるはずもない。しかし、これまで読んできた書籍や、観てきた映像から得た知識をつなぎ合わせて、何とか分かろうとする。あるいは分かったつもりになる。そして、自分もあんな風に操縦できたらなぁと夢を見る。すなわち、パイロットを自分と同じ人間と捉えて、間接的にコミュニケーションを取ろうとしているのだ。だからリアルなアクロバット飛行は無くならない。MotoGPを撮影した映像よりも、ドローンの操縦者の見ている画面に共感してしまうのも同じ理屈だろう。すべての仮想世界は、現実社会を支える裏方に過ぎないと分かる。

 それが故に危険なこともある。WIRED誌は別の記事で建築家・豊田啓介氏らが空間AIについて説明する。テレビゲームの世界では以前からメタAIとしてルールを司り、ゲーム自体をコントロールしてきたこの概念は、空間コンピューティングにおいて複数のAIエージェントの間を取り持ったり、取りまとめたりするという。例えば、仮想空間の中でブルーインパルスを飛ばそうとした時に、風や雲の状況を作りだし、エージェントである各飛行機に一律的に伝える役割を担う。これによって、各エージェントがそれぞれに環境をシミュレートする手間を省かせる。それだけに責任重大だ。空間AIの動作はイベントの実施自体を左右する。仮想世界での出来事が現実社会に影響を及ぼすとすれば、この空間AIは大いに力を持つだろう。実は今回、川崎にゆかりのないブルーインパルスが、かわさき飛躍祭に呼ばれた理由ははっきりしない。どこに力があるのかを明確にしておくことの大切さは、いつの時代も変わらないと思うのだ。

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