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消費の飽き

飽きるという現象について考えてみたときに、ある取り組みに対しての行き詰まりや天井を叩いた感覚から退屈さを感じたときのことを形容する言葉であると考えている。

これは感覚てきなことであり、他人から見たときに行き詰まってるとか、こいつ天井を叩いているなという感じを見せられるものではない。あくまでも自分で判断することである。

何かに飽きたとき、それを乗り越えることでその先になにがあるのか。それともないのか。越えてみないとはっきりしない。しかし越えるにはそこそこのエネルギーを消費する。

でも限られた時間のなかで多くのコンテンツを消費するのは困難である。ならば限られたコンテンツのなかで自分の思考を深めていくことの方が合理的かつ、深層まで解釈することができるのではないだろうか。

コンテンツが溢れるほどある世の中。コンテンツに限らず、食事や男女の出会いに関しても同様のことがいえるかもしれない。飽食、マッチングアプリ、等々…。

だからこそ、飽きたら次に行ける、さらに面白いものがあるに違いないという消費を前提とする楽観思考が蔓延っているのではないか。

私の知り合いの農家は
「欲しい未来は自分でつくれ」というかっこいい言葉を常に発している。

学生時代にお世話になった農家なのだが、その当時はふーんとしか思えなかった言葉が、今となってはそれがよく理解できる気がする。

小田原という地域にその農家はみかんを栽培している。これといって栄えている印象も少ない。
農園付近は見渡す限りのみかん園。標高が上がってくると海も見えてくる最高のロケーションだ。

そう、そこにはマックやユニクロやスタバは存在しない。しかし、何もないという空間がある。みかんがある。オーシャンビューがある。

そこでは消費しているという感覚は存在しない。むしろ、何か小屋でもつくってこの景色をひとりでも多くの人に見てもらいたい、このみかんをどうやったらたくさんの人に届けられるか。というつくるという思考に切り替わっていく。

都会にはたくさんのモノで溢れている。東京を例にあげると、エリアによって街の特色は異なる。おしゃれなカフェが集中しているエリア。おしゃれなカレー屋があるエリア。おしゃれなサウナがあるエリア。皆が寄ってたかってコンテンツを消費しつづけている。飽きたら別の店、別のエリアへ越せばいいだけの話。

話は変わり、オードリーのオールナイトニッポンの話題。この番組は基本的にオードリーの若林正恭氏と春日俊彰氏のトークで2時間お送りする番組なのだが、たまにゲストを呼ぶときがある。いわゆるスペシャルウィークってやつだ。今週は有村昆氏、ジャガモンド斉藤氏が登場し、オードリーに2人に映画を紹介、それを観たいか観たくないかをジャッジするという企画が行われた。企画に先立って若林氏は同じ事務所の後輩であるジャガモンドのM-1一回戦敗退に関して冗談半分にこんなことを言っていた。

「最近はコンテンツがありすぎるんじゃないか!?」

「コンテンツがありすぎるから傷心の穴も埋めてくれるじゃないのか。おれらがM-1出てた時なんか世間を憎んだ目で見てたけどね。」〜「それ以外で発散できる方法を知らなかったから。時代的に。」

的なことを言っていた。

まさしくその通りかもしれない。自分も映画が好きで気になる作品があれば劇場に足を運んだ。でも消費するだけで終わりたくないからということで感想を連ねることもこのnoteでやってきた。最近は更新が滞っている。それは置いておいて、結局消費するだけで、何も生まない行為に走っちゃってるんじゃないかということ。その後深掘りするなら別だが。

オードリーのおふたりも、ラジオのなかで「バックトゥザフューチャー」「キッズリターン」「フィールドオブドリームス」「トレインスポッティング」ばかりみていると言っていた。だからこそ新しい映画を紹介してほしいという趣旨だったのだが、これらの作品群は彼らの共通言語となっていて、それに思い出が重なってラジオの空気感が作られていったんだと思う。今後のラジオの中で今回紹介された映画を2人が見たときにどういう会話が出てくるのかが楽しみである。

配信コンテンツがものすごくいっぱあるなかで何を選んだらいいのか分からないことは多分にあるはずである。それを人を介して選ぶのか、自分の感覚で選ぶのかは分からないが、配信コンテンツとの付き合い方は倍速再生の件も含めて改めて考えなくてはいけないと思う。

消費することが悪いわけではない。なんなら必要不可欠である。しかし、消費するからなにかつくることにもつながっているのではないかと思っている。つくる際にも消費をすることでインプットしてアウトプットにつなげる。表裏一体の概念だと思うのだ。

だからコンテンツを消費する際はアウトプットもセットで行うことが重要であると改めて感じる。コンテンツの多さにビビらずゆっくりと解釈していくこと、そして新たなコトを創造していくことなんじゃないか。

コンテンツ消費を急かせる要因の一つにまわりの会話についていくためがあるらしい。ここはひとまず、周りの好きなものよりも自分の好きを見つけようや。


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