2009年1月の東洋大学に夢中だった頃。
小学校の頃、学校で一番になるとか、それほどではない中途半端な体力だったが、中・長距離には少しだけ自信があった。
お正月になると、箱根駅伝を観る。これが割と自分の好みで小学校から観ていた記憶がある。
記憶の奥ではぎりぎり、当時の順天堂大学の今井正人さんが山登りで山の神と称されていた時のことを覚えている。おそらく2006年。
自分も少しは走れたから、箱根駅伝で走っている大学生の姿は憧れの的だった。
そして2009年の正月、往路の5区で衝撃的な走りを見せた人物がいたのだ。
東洋大学の柏原竜二
当時一年ながら5区の山登りを任され、8位か9位からのスタートだった。
初めから快調に飛ばし続け、どんどんとごぼう抜きしていく姿は2区で山梨学院のメクボ・ジョブ・モグスを観ているそれと似ているような気もするが、
山登りというロケーションはさらにドラマチックな展開にさせてくれる。
そしてついに、先頭を走っていた早稲田の選手を捉え、抜き去っていく。そして颯爽と往路優勝を勝ち取ったのだ。
これまで東洋大学というのは4位が最高順位だった。優勝をしたことがなかったのだ。
それを1人の力であそこまで持っていくのは凄まじい能力も去ることながら、カリスマ性も半端なかった。
今井正人さんの「山の神」を引き継ぐ形で柏原さんは「山の竜神」と称され、僕も彼に夢中になった。
彼のせいで、小学校の卒業アルバムに箱根駅伝に出たいなんていう夢を書いてしまった。いっときはちゃんと陸上やりたいと思っていたのだが、挫折。笑
ファンとして楽しませてもらっている。
その後、東洋大学は黄金期を迎え、設楽兄弟や服部兄弟など強さと話題性を兼ね備えた常勝軍団になっていったのだ。
それだけ、2009年の5区 柏原竜二の存在は大きい。
私にとっても実は箱根駅伝の影響で、東京農業大学の存在を知り、なんとなくここに行くのかもしれないと意識はしていた。陸上はしないにせよ、実家の農業をなんとなく意識してたから。
農業を学ぶためではあるものの間接的に箱根駅伝からの影響されて進学していた。(当時の農大は箱根の常連校、現在は停滞気味、頑張れ!)
今の自分は箱根駅伝があったからこそだと言っても過言ではないかもしれない。笑
これからは母校の箱根路復帰をOBとして強く願っている。
毎年予選会はしんどそうだし。
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