見出し画像

ポップコーンは買わない。vol.111

風の歌を聴け

夏休みに、生まれ故郷の海辺の街に帰省した主人公の大学生と、馴染みのバーでの旧友との再会や、女の子との出会いを描く。七十九年度『群像』新人文学賞を受賞した村上春樹の同名の小説の映画化で脚本・監督は「ヒポクラテスたち」の大森一樹、撮影は渡辺健治がそれぞれ担当。

映画.com

全ては自己満足から始まるのでは

なぜこの作品を選んだのかと聞かれれば、そういう気分だったからだと言わざると得ない。

あくまで私的な文章であるのだから、最新映画や話題の配信作品ばかりを取り扱うわけではない。

きっかけは村上春樹さんが月に一度放送するラジオ番組には確実に影響を受けている。

「村上RADIO」

村上RADIO

村上さん自身が選曲し、自分の話したいこと、リスナーからの悩み相談にも村上春樹さんらしいどこかその人には寄りすぎない、あくまで自分の意見を投げ返してくれる感じに魅力を感じる。

確か2018年から放送を開始したはずだ。放送回は全てで22,3回を数えるはずだ。

その一挙再放送の機会があった。平日の朝5時からの1時間に放送されていた。私は早起きが苦手なので、タイムフリーという魔法を使って全てを聴いた。

村上RADIOは本作にも共通する部分が多いにある。
それはすなわち、村上さんパーソナルに関するエッセンスが、映画に盛り込まれていたからだ。


エッセンス1:音楽

村上さんは特にクラシックロックやクラシック、ジャズに精通されている。かつてジャズ喫茶を経営されていた話は有名である。
まあ、それ以外ももちろん詳しいのかもしれないが、ラジオでよく耳にするのはそれらの要素だったように感じる。

その要素が、本作でもビーチボーイズのレコードを探す主人公の場面で見ることができる。

The Beach Boys : California Girls

ビーチボーイズにベートーヴェン、マイルス・デイヴィス、といったところで。


エッセンス2:ラジオ

本作では「ラジオNEBのポップス・テレフォン・リクエスト」

本作の原作、つまり小説を読んだことがないのでわからないのだが、ラジオという要素、音楽の要素の表現がどのようになされているかはわからない。が、ラジオや音楽の情報というのは映像作品ならではのアプローチだと思う。

「風の歌を聴け」という作品を原作と一緒に映像も通すことで、作品への理解を深めることができるのではないかと思われる。

村上作品はあまり社会的な背景だとか、主張が少ないのである意味誰にも当てはまる、そして浸透していく作品になると思うが、理解が難しい部分も多い。

簡単には共感しづらい構造になっているのかもしれない。

だからこそ何度も読み返してみたり、映像や音楽も通して考えることで感情や、表情を理解し、やっとそこに記されてる「言葉」そのものを理解できるのではないか。それは正解とかではなく腑に落ちる納得として。


若い頃の小林薫さんや室井滋さんがみれたのは貴重だと思うし、室井さんははじめどこに出てたのかわからなかった。お顔の印象が違ってびっくりした。笑

つくるたびに自分が啓発されないと意味がない

とにかくビールを飲む作品だが、小林薫さんの相棒的な立場にある巻上公一さん(作中では”鼠”と称される)。彼は作中で映画を作る。

彼の言葉の中で印象的だったのが

「映画はつくるたびに自分が啓発されないと意味がない。」

あくまで自分が楽しむことが重要であるということ。別の人から見れば当たり前のことと思う人もいるかもしれない。なんとなく、何かを始めるには名前が売れるようにだったりとか、いい作品を作って何かの賞を取らないと意味がないのではと考える人もいると思う。僕がそうだった。

ハッとさせられた。まずは自分が楽しむこと、先のことを考えすぎると絶望し、続くもの続かないということに最近気がつくことができた。続くことができれば、気づいたら何かを得ていることがあるかもしれないという程度に。自分を楽しませることができなければ、他人を楽しませることはできないということを感じたのだった。

今を必死に生きることが今はもっともに大事であることを現在進行形で痛感している。

最後に

こんなところかな。

私小説は弱々しいという話を耳に挟むこともあるが、個人は社会の因数分解の結果である。その個人を喜ばせることができなければ、社会はよくならないだろう。
広い視野で考えることも大事だが、まずは自分を大切にしてみることから始めても遅くはないだろうな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?