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未来への不安から「今」を疎かにしていないか? 僧侶が読み解く映画『PERFECT DAYS』

「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な映画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。

 第96回「PERFECT DAYS」

ヴィム・ヴェンダース監督
2023年日本・ドイツ合作

 
 ラスト3分。役所広司の顔がワンカットで流れます。圧巻です。その表情を堪能するために、それまでの120分の上映時間は決して長すぎません。

 役所が演じるのは、都内の公衆トイレの清掃員・平山。一人暮らしの平山は毎日を、自分のルールに則って同じように過ごします。ドラマはほぼ起こりません。平山がどんな人生を送ってきたかの説明もありません。カメラはただ、平山の一見単調な日常と、彼が暮らす東京を映し出します。その美しいこと。

 古本に親しみ、50年くらい前の洋楽をカセットで楽しむ平山のもう一つの趣味が、写真。昼休みに公園の木漏れ日へ向け、フィルムカメラのシャッターを切ります。特徴的なのが、ファインダーを覗かないこと。どんな写真が撮れたのか、現像が上がってくるまで分かりません。偶然の出遇いを尊重し、また楽しんでいる姿勢が見てとれます。そんな平山がファインダーを覗くこともあるのですが、それは映画の中でご確認ください。

 寡黙な平山の数少ないセリフはとても仏教的に思えました。

「この世界には、たくさんの世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある」

 縁起を否定しているようですが、そうではありません。「つながっていない世界」とは断絶を意味するのではなく、自分の想像や解釈を超えた世界、ということと思います。分かっているつもりになるな、同じように見えても昨日と今日は違うんだぞと。自分の見えていないところにも美しい世界は存在するんだよ、と。

 平山はこうも言います。「今度は今度、今は今」。そう。未来に憧れ、あるいは怖れて、今を疎かにしている自分ではないか。この作品はそんな問いも提示しています。
 
松本智量(まつもとちりょう)
1960年、東京生まれ。龍谷大学文学部卒業。浄土真宗本願寺派延立寺住職、本願寺派布教使。
自死・自殺に向き合う僧侶の会事務局長。認定NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク理事長。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。


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