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麺類に砂糖、お餅にトウガラシ。“甘辛味“に隠れる、アジア人の気質とは

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「「甘」と「辛」です(本記事は2022年7月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

  

  お昼には麺類を食べることが多い私。家には、七味唐辛子や柚子七味、はたまた京都に行った時に入手する黒七味といったものが常備してあります。蕎麦うどんの類には、ピリッとしたものを振りかけると、味が引き締まるような気がするものです。

 先日も、かき揚げうどんに七味唐辛子を振りかけていたところ、ふと思い出したことがありました。かつてラオスに行ったことがあるのですが、食堂のテーブルに必ず置いてあったのが、グラニュー糖。しかしそれはコーヒーや紅茶に入れるためのものではなく、麺類用でした。現地の人達は、当たり前のように汁麺に砂糖を投入していたのであり、隣国のタイでも同様らし

 麺に砂糖? と最初は驚いたのですが、真似をして入れてみると、何だかコクが出て美味しいではありませんか。テーブルには砂糖だけでなく唐辛子やナンプラー等、様々な調味料が常備されていたのであり、現地の人々は皆、自分好みに調味して麺を食べていました。

 ラオスで砂糖をふりかけた麺を食しつつ思ったのは、「我々は同じ、アジアの民なのだなぁ」ということでした。汁に入った麺を箸ですする、というのもアジアの国ならでは。そして、しょっぱいものに甘い味を足したくなるのも、アジア的な感覚なのではないか。

 日本人は麺類に砂糖はかけないけれど、しかし麺類のつゆには、もともとみりん等の糖分が入っています。そして我々は、すき焼きであれ煮魚であれみたらし団子であれ、砂糖+醤油的な甘辛い味には目がない性質。

 韓国料理のトッポギを食べる時も、私はいつも仲間意識を覚えるのでした。棒状のお餅を切ったものを、唐辛子色のタレで煮込んだ料理が、トッポギです。韓国ブームの昨今においては、日本でも手軽に食べられるようになってきました。

 トッポギのタレはいかにも辛そうな色ですが、食べれば辛いだけでなく、そこには甘みも感じられます。甘くて辛いタレであえたお餅を咀嚼していると、「これは、韓国におけるみたらし団子のようなものだわねぇ」という気分に。みたらし団子とフレイバーは違えど、「モチモチしたものを甘辛味で食べたい」という感覚を共に持っていることに、嬉しくなるのです。

 甘さと辛さは正反対の味ではありますが、だからこそ同時に味わうと、互いに引き立て合うのでした。のみならず甘辛の味わいは、米、餅、麺といった炭水化物の最高のお供となってくれます。

 欧米の食べ物はというと、甘いものは甘く、辛いものは辛いというメニューが多い印象です。対して甘辛がまだらに入り混じるアジアの食べ物というのは、我々の気質とマッチしているのかも。「おとなしくて、穏やか」という印象を持たれがちなアジアの人々ですが、甘味の中にもピリッとしたところも持ち合わせているというところが、その食べ物と共通しているような気がするのでした。

 甘さもあるのに辛かったり、辛そうでいて実は甘かったり。アジアの食も人も、その意外性が魅力の一つ。甘辛いおかずで大量のご飯を食べる……という行為は健康にはあまり良くないのかもしれませんが、あの味わいはアジアに生まれた者にとっては大いなる幸せなのであり、今日も私は、甘辛く煮た油揚げをうどんに乗せて食べようかな、などと考えているのでした。
 
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966 年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003 年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『うまれることば、しぬことば』(集英社)など。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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