紫式部と清少納言の違いとは? 作品から見る二人の性質
大河ドラマで話題となっている、紫式部。ドラマということで、だいぶ史実から羽ばたいて大胆にストーリーが展開しているのが、面白いところです。
平安時代の女性の書き手のことが私は好きなのですが、あの時代の面白さは、何と言っても紫式部と清少納言という全く個性の違う女性が同じ時に生き、立場上でもライバル関係にあったところでしょう。
ドラマにおいて、二人は当初、友達のように描かれています。が、実際において二人は、会ったことがあるかどうかもわからないようです。
清少納言はやがて、藤原道隆の娘の定子に侍る女房として出仕しました。その後紫式部は、道隆の弟・道長の娘である彰子の女房となります。
定子と彰子は、共に一条天皇に入内した女性。いとこ同士とはいえ両者は一条天皇を巡ってライバル関係にあり、それぞれにつく女房もまたライバル的立場であったことは、ドラマでも描かれている通り。
定子は早くに亡くなってしまうので、定子と彰子のライバル関係が長く続いたわけではありません。が、紫式部に関して言えば、ライバルである清少納言のことが、大嫌いだったようです。
それというのも「紫式部日記」には、清少納言に対する激烈な悪口が書いてあるのでした。おそらく「枕草子」を読んでいたであろう、紫式部。「清少納言は、わかったようなことを書いているけれど、よく読めば大したことがない。あんな女はロクな末路を迎えないでしょうよ」といった書きぶりなのです。
この部分を読むと、二人が仕えた主人がライバル関係だったから紫式部が清少納言を嫌ったわけではない気がするのでした。それ以前に二人は、根本的な部分で全く合わなかったのだろうな、と思えてならない。
ドラマでは明るい部分も見える紫式部ですが、「紫式部日記」や「源氏物語」を読んでいると、かなり湿度の高い、内にこもる性質だったことがわかります。対して清少納言は、あけすけでカラッとしたタイプ。だからこそ「枕草子」には、「漢文の知識を生かしてこんなことを言ったら、行成さまからこんな風に褒められちゃった!」といった自慢話も、あっけらかんと書いてあるのです。
しかし紫式部としては、清少納言のそんなところが、我慢ならなかったのでしょう。紫式部はもちろん、当時は男性の文字だった漢字の読み書きもばっちりできる、教養豊かな女性です。しかし彼女は、他の女房達の前では、「一」という字すら書けないフリをしていました。となれば、「褒められちゃった!」と自分の教養を堂々と自慢する清少納言に、彼女はどれほどイラついたことか。
二人の性質の違いは、文章にも現れています。清少納言は、思ったこと、体験したことをそのまま記す〝随筆〟を書きました。対して紫式部は、思いも体験も、自分の中に取り込んでグツグツと煮込んだ結果として、あの長大な「源氏物語」を紡いだのではないか。
互いに好感は持っていなかったかもしれないとはいえ、稀代の才能を持った二人の女性が、同じ時代に京の貴族社会に生きていたことは、奇跡のようだと私は思います。そんな彼女達が書いた文章を千年後の今も読み続けられることは、私達にとっての奇跡であり、また大きな幸せなのでした。
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『消費される階級』(集英社ノンフィクション)