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お坊さんたちが選ぶ「心が前向きになる映画」

秋の夜長に触れたくなるのが、心に残る映画の数々。今回は、編集委員たちが厳選した「前向きな気持ちになれる映画」をお届けします。

更生をめざす出所者をめぐる、予期せぬ縁を描く

すばらしき世界
監督:西川美和 2021年、日本

 
元やくざの三上が13年の刑期を終え、やり直しを決意し出所する場面から始まる。三上は身元引受人の弁護士・庄司の援助を受けて生活を始めるが、直情型で一本気な性格から周囲との軋轢を起こす。4歳で母と別れ養護施設に預けられた三上は、テレビ局の人探し番組に依頼し、母を探そうとする。そのドキュメントを撮るのがプロデューサー吉澤と若手テレビディレクター津乃田。吉澤、津乃田、三上の織りなす絶妙な人間模様に引き込まれる。

仏教思想の根底には縁起がある。縁により全ての存在が繋がりあう。人と人との繋がりもしかり。希望を持って出所する三上は、社会から疎外されて行く。三上を不純な動機で取材する津乃田。三上を心配する近くのスーパー店長松本。予期せぬ縁が三上を支えていく。

西川美和監督が役所広司を主演に、犯罪や非行をした人が社会で更生、自立を目指す際の更生保護の課題を取り上げた本作品。刑期を終え帰る場所のない人に宿泊場所や食事を提供する更生保護施設には本願寺設立の施設もあり、更生を支える保護司を務める僧侶やご門徒も多い。(酒井)

 世界が広がれば、心も動く
一人の青年の解放を描いた名作

 ギルバート・グレイプ
監督:ラッセ・ハルストレム 1993年、アメリカ

 
舞台はアメリカ中西部のなんの変哲もない小さな町。そこに暮らすギルバートは、食料品店で働くかたわら、重度知的障がいを持つ弟や、夫を失ったショックから過食症になって動くこともできない母の面倒をみながら暮らしています。不満をいうわけでもなく、むしろ感情を伴わずに、絶え間なく起きる小さな事件(たとえば、弟が給水塔に登るとか)に対応する日々。町から一歩も外に出たことがないギルバートにとって、選択肢を持つこと自体が不毛だったのでしょう。

そんなギルバートの前に現れたのが、一台のトレーラーハウス。旅をしている親子との出会いは、ギルバートの世界を少しずつ広げ、心を動かします。でも、現実はギルバートを苛つかせるだけ。ある日、ギルバートは車で町の境界を超えていきます。でもすぐにUターンして戻って来る。このシーンで、私は涙が止まりませんでした。

ハッピーな終わり方ですが、両手を上げてハッピーという後味ではなく、一抹の悲しさがどこか残るのがこの映画の魅力。彼が選んだ区切りの付け方は、悲しさに満ちたもの。でも、「よかったね、あなたなら大丈夫」と思わせてくれる力があるんです。

ジョニー・デップが主演でディカプリオがその弟役。特にディカプリオの演技は、見ものです。(枝木)

家族を失った少女の旅を描く、アニメ大作

すずめの戸締まり
監督:新海誠 2022年、日本

 宮崎県に住む高校生の岩戸鈴芽は、不思議な青年に出会います。その青年は、大地震を引き起こす力を封じ込めるために日本各地を巡っており、その力が放出される扉を見つけてそれに鍵をかけて閉めていきます。あることがきっかけで、鈴芽もその青年と旅を共にすることになります。

各地で出会った人に支えられながら旅を続け、最後にたどり着いたのは東北の三陸地方。そこで見つけた扉を通って鈴芽がやって来たのは2011(平成23)年(鈴芽がいる世界の12年前)、東日本大震災直後の世界でした。実は、鈴芽は4歳の時に震災で家族を亡くしています(その後、叔母に引き取られて宮崎県に住むことになりました)。震災の直後で自宅が全壊し、家族にも会えず、4歳の鈴芽は泣きじゃくっています。それを見た高校生の鈴芽は、4歳の自分にこう声をかけます。

「今は真っ暗闇に思えるかもしれないけれど、いつか必ず朝が来る。朝が来て、また夜が来て、それを何度も繰り返して、あなたは光の中で大人になっていく」

そして高校生の鈴芽は、4歳の自分と別れて12年後の世界に戻るとき、こうつぶやきます。

「私、忘れてた。大事なものはもう全部――ずっと前に、もらってたんだ」

私たちは人生で、真っ暗としか思えないような事態に出くわすときがあります。それでも、先は開けています。そして、私たちは気づいていなくても、周りから大事なものを頂いているのです。

鈴芽と叔母が三陸から宮崎まで帰る途中、鈴芽が旅の中でお世話になった人々を2人で訪ねて、お礼をする場面があるのも好印象です。(多田)

実在のショーマンを描いた、ミュージカル

グレイテスト・ショーマン
監督:マイケル・グレイシー
2017年、アメリカ

 舞台は19世紀半ばのアメリカ。興行師・バーナムは、経営している博物館の不入りに悩んでいました。ある日、娘の「死んだものではなく、生きているものを見たい」との言葉から、「身体的にユニークな人」たちによるショーを思いつきます。「身体的にユニークな人」とは、一般的には「障害者」。世間から差別され、排除され、奇異の目で見られ、社会的に引きこもり状態にある人たちを舞台に上げて、ダンスショーを創作したのです。

「良識的」な評論家からはキワモノと酷評され、一部の市民からも「バケモノの集団」と石を投げられながらも、ショーは次第に多くの観客の歓声を集めていきます。

ショーのメインで歌われるのは「THIS IS ME」。世間から疎まれ、自分自身も否定していた自分を「これが私だ!」と宣言し、堂々と高らかに歌い踊るパフォーマーたちのダンスのダイナミックなこと。生きている人がそこにいます。そのステージは、彼らが自分自身を解放し他者と繋がりえた窓であり、彼らがやっと獲得できた安息の居場所であり、大切な仲間たちとの共同作品だったのです。その圧巻のダンスシーンから私は確かに南无阿弥陀仏の声を聴きました。(松本)

 己の人生観を問われる、SF映画の金字塔

ブレードランナー
監督:リドリー・スコット
1982年、アメリカ

 20xx年、技術の進歩によって生み出された人造人間「レプリカント」。労働力として宇宙開拓の前線に立つ彼らの中には脱走する者もいました。そうした脱走者を抹殺する警官が「ブレードランナー」です。

脱走レプリカントの生き残りであるロイを始末しようとするデッカード。しかしロイの戦闘力は予想以上に高く、デッカードは反対に追い詰められてしまいます。いまにもビルから転落してしまいそうな絶体絶命の状況で死を覚悟するデッカードでしたが、なんとロイに助けられたのです。

ロイはデッカードに次のように告げて生命活動を停止します。「俺はお前たち人間には信じられないようなものをたくさん見てきた。(中略)しかしそうして過ごしてきたあらゆる時間も記憶も消え去っていく。雨の中の涙のように。死ぬときがきたんだ」。映画史に残る名場面です。実はロイを演じるルトガー・ハウアーによるアドリブといわれます。

ロイは自分の生涯を「雨の中の涙」と譬えました。雨と涙は別の物ですが、やがてひとつの雨水となっていきます。この台詞で思い出したのが、親鸞聖人の「正信偈」にある「凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味」。どの川の水も海に入ると一つになるように、それぞれが別々の人生を歩む私たちもまた阿弥陀如来のすくいに出遇うなかで一味の世界に生まれていくのです。(横内)

プロレス界のレジェンドが残した
足跡を辿るドキュメンタリー

アントニオ猪木をさがして
監督:和田圭介・三原光尋 2023年、日本

昭和プロレスを見慣れた人は、かつてプロレスはメジャースポーツだったという人もいるかも知れない。けれども当時、一般新聞のスポーツ欄にプロレスの結果は載らなかったし、新日本プロレスの総帥・アントニオ猪木がわざわざ「キング・オブ・スポーツ」を標榜しなくてはならないくらい、実のところプロレスはマイナーであった。

猪木は「世紀の凡戦」と言われた異種格闘技戦、ボクサーのモハメド・アリ戦で、時代を20年以上先取りして見せた。「寝技で仰向けになるのは〝攻め〟の姿勢」ということを、1993年にブラジリアン柔術家のホイス・グレイシーが、アメリカから世界に向けて知らしめる前に実践してみせたのである。

そんな現役時代を駆け抜けた猪木が、引退の際に読んだ一編の詩。

      道
 この道を行けばどうなるものか
 危ぶめば道はなし
 踏み出せば その一足が道となり
 その一足が道となる
 迷わず行けよ
 行けばわかるさ

猪木はこの詩を一休禅師の言葉と認識していたようであるが、真宗の哲学者・清沢哲夫の詩をアレンジしたもので、「二河白道」(※QRコード参照)を表したとも味わえる。いずれにせよ浄土教の世界観を持つ詩が今も多くのプロレスファンに暗唱されているというのは、つい人に話したくなるエピソードなのである。(星)

無農薬のリンゴから考える、「誰にでも」の尊さ

奇跡のリンゴ
監督:中村義洋 2013年、日本

仏教の歴史の中では「誰にでもできる念仏という簡単な行は劣っている」と考える人が多く存在しました。確かに「一部の人にしかできない困難な修行の方が素晴らしい」と私たちは考えがちです。しかし親鸞聖人の師である法然聖人は「誰にでもできる南無阿弥陀仏の念仏がすぐれている」と教えてくださいました。

実話を元にした『奇跡のリンゴ』という映画があります。物語の中心はリンゴ農家を営むとある夫婦。妻・美栄子は農薬散布の時期になると寝込んでしまう農薬アレルギーでした。苦しむ妻を見た夫・明則は「農薬を使わないで妻も食べられるリンゴを作ろう」と決意します。ところがリンゴは繊細な果物で農薬を使わずに栽培するのは不可能といわれています。何年もの歳月を経て、映画のクライマックスでは秋則が文字通り命懸けで無農薬のリンゴ……奇跡のリンゴを完成させます。

さて、アレルギーのない一部の人しか食べられない普通のリンゴと、アレルギーがあってもなくても誰にでも食べられる奇跡のリンゴはどちらがすぐれているでしょうか。ここに「誰にでも」の尊さがうかがえます。

奇跡のリンゴがアレルギーのある人にも届いたのは秋則の願いや苦労がリンゴに込められているからです。誰にでも称となえられる南無阿弥陀仏にも阿弥陀如来の願いと苦労(行)がすべて込められています。そのことをお聴聞する場が浄土真宗のお寺です。(横内)

独裁政権を退陣に追い込んだ「人を動かしたCM」とは?

NO
監督:パブロ・ラライン
2012年、チリ・フランス・アメリカの合作

みなさんが支持する政党や宗派を広める場合、何を主張しますか?対抗する政権や教えを批判する。支持政党や教えが培ってきた功績を称える。現在の苦難を示して、それを変えるのが私たちだという。主張のポイントの選び方によっては、伝える内容や媒体も変わってきますね。

1988年、南米のチリ。当時、15年にわたるピノチェトによる独裁政権に対する批判は国際的にも広がっており、政権信任の国民投票が実施されることに。その投票までに反対派に与えられたのは深夜にながれる15分のCM枠。そこでどんなメッセージを流すのか、反対派はあるフリーの広告制作者レノを採用します。

レノと左派連合(反ピノチェト派)との間でも意見の衝突が起きます。レノは、典型的なノンポリ。彼が大切にするのは、何が国民の心を掴むのか?左派連合の主張ではなく、その主張の先にあるものでした。投票日が近づく中、ピノチェト派からの横槍も入り苦戦を強いられます。

結果は? 歴史が既に答えを出してくれています。

ピノチェト政権は退陣に追い込まれました。何が人を動かすのか?考えさせられます。それ以上に痛快な映画であること請け合い! (枝木)

家族を通じて描かれる「良い人生とは何か?」

みんな元気
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
1990年、イタリア・フランス合作

 2013年にロバート・デ・ニーロ主演のリメイクバージョンでこの映画を知った方も多いでしょう。オリジナル版の同名イタリア映画は、ウィキペディアを見ると「『東京物語』のオマージュ」の一言で片づけられています。しかしジュゼッペ・トルナトーレ監督が小津安二郎の「東京物語」を見たのは本作のプロモーションで来日する半年前のことだったと劇場プログラムのインタビューで述べており、「みんな元気」はオリジナルの映画として、もう少し語られていいのではないかと思います。

主人公の老人(マルチェロ・マストロヤンニ)は「東京物語」の笠智衆よろしく、イタリア各地の子どもたちを訪ねますが、必ずしも歓迎されません。子どもたちは嘘で塗り固めた姿を老人の前で披露し、老人を喜ばせようとしますが、ある時老人に現実を知られてしまいます。寂しくシチリア島に帰った老人は亡き妻の墓の前で「私たちの子どもはみんな元気だ」と報告します。太陽が照りつけるシチリア島の風景と、明るい言葉とは裏腹な老人の心象風景を映し出すかのような、エンニオ・モリコーネ作曲の短調の音楽が味わいを深めます。

「良い人生とは何か」ということ、ひいては生きる意味について考えさせられるエンディングを見るために、どこかの配信サービスで見られるようにしてほしいものです。(星)

 ※本記事は『築地本願寺新報』に掲載された記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。