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浄土真宗・宗祖の親鸞聖人が神社に通っていた理由【第9回】鹿島神宮(茨城県鹿市)

来年、京都の西本願寺で「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が勤められることを記念して、宗祖・親鸞聖人(1173―1263)が関東の地に残された由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。「~2人の僧侶が、ぶらぶら歩いて、ゆるゆる楽しむ~ ご旧跡 歩いて記た」より。

現地ルポ

 鹿島神宮はカシマサッカースタジアムが20個以上すっぽり入る広大な敷地面積を持ちます。大鳥居から100メートルほど進むと大きな楼門があり、それを過ぎると右手に本殿があります。そこからさらに奥へ200メートルほど進むと、左手にさざれ石と、鹿のいる鹿園があり、その脇のうっそうとした森の前に親鸞聖人御旧跡の札がひっそりと立っています。
 札にはその一帯にかつて鹿島山金蓮院神宮寺、降魔山護国院というお寺があったこと、そしてこの地からかつて小石に経文の文字が書かれたものが出土し、「親鸞上人のお経石」と呼ばれていることなどが書かれています。ここでのお話ではありませんが、親鸞聖人が小石に浄土三部経の経文を一文字ずつ書いて、幽霊を済度したとする伝承が『遺徳法輪集』などに残されています。

ご旧跡紹介

 鹿島神宮は神話では神武天皇即位の際に、日出ずる国の日出ずる処、常陸国の鹿島の地に武甕槌神を祀ったとされる。また藤原氏の祖、中臣鎌足は鹿島神宮に仕える祭官の家の出とも言われている。
 親鸞聖人が笠間市の稲田草庵から鹿島神宮に通っていたという伝承が多くあるのは、『教行信証』を著すにあたり、経典などを読むためだったと伝えられる。当時の鹿島神宮は関東有数の経典の宝庫とも言われた。
 『二十四輩巡拝図会』には、鹿島神宮の神官であった片岡信親が、鹿島明神から託宣を受け、さまざまな不思議な出来事を目の当たりにしてたちまちに親鸞聖人を尊信し、弟子になったことが書かれている。その片岡信親とは二十四輩第三の順信房信海のこと。順信のもとには鹿島門徒と呼ばれる門徒集団が形成された。

旅ある記

藤 この欄では、確かめようもない伝承であっても、大切に語りつがれてきたその心を大切にしようというのがモットーですが、今回は神話まで絡んできましたね。
星 鹿島神宮に祀られている武甕槌神といえば、国譲りの神話から武芸の神様などとしても有名ですが、実はかつて鹿島神宮の中にお寺があって、親鸞聖人が経典を読むために通ったのでは、という話をすると驚かれることもあります。
藤 神仏分離はそれほど昔のことでもないですけどね。
星 親鸞聖人ご在世当時は、親鸞聖人がお住まいになっていた稲田草庵から、常陸の国府・石岡まで山の尾根を伝って歩いたというお話を大覚寺で聞きましたし(=5月号参照)豊安寺(=11月号に登場)ではその石岡から恋瀬川を下って、同じ船で鹿島まで行けたのでは、というお話も出ましたね。
藤 もちろん親鸞聖人はご健脚であったんでしょうけど、船も加われば行動範囲がグッと広がりますよね。そこにお経があるとなれば、神社もお寺も関係なく訪ねていったことでしょう。
星 いずれにせよ当時の神社は仏教とシンワ性が高かったということですね。
藤 ……!
(藤本真教・星顕雄)

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〒314-0031 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
電話 0299-82-1209
築地→(徒歩)→築地三丁目→(都営バス・都04・東京駅丸の内南口行き・210円)→(徒歩)→東京駅八重洲南口→(関鉄バス/京成バス/JRバス・高速バスかしま号・2000円)→鹿島神宮駅→(徒歩10分)→鹿島神宮
駐車場250台以上
参拝受付は8:30~16:30

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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