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「外」と「中」 酒井順子さん連載コラム『あっち、こっち、どっち?』②

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「外」と「中」です(本記事は2020年5月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

 新型コロナウィルスの影響で、家の中で過ごす時間が長くなっています。私達にとってコロナ禍は、かつて経験したことがないタイプの、非常事態となりました。

 戦争であれ天災であれ、非常事態下では人々が手を取り合い、助け合うことによって、苦境を乗り越えようとしてきました。しかし今回は「手を取り合う」ことが、最も危険。人との距離を取りながら助け合うという難しい命題が、私達に与えられることになったのです。

 私の場合、元々が在宅勤務なので、生活が激変したわけではありません。が、外で行う打ち合わせや会食、出張やイベントなどはもちろん全て中止に。延々と家にいることになったのですが、そこで気づいたのは「さほど、苦痛ではない」ということなのでした。

 もちろん、コロナについては不安が募っています。テレビやネットを見すぎると、その不安が膨らんでしまうので、メディアに接するのは限られた時間だけ。手つかずだった場所の掃除をしたり、今まで読めなかった本を読んだりしていると、年末年始の休み中のようです。

 そんな中で、シンクやらカランやらをピカピカに磨き上げながら思ったのは、
「今まで、かなり無理していたのだなぁ」
 ということでした。

 コロナ禍以前、世の風潮はずっと、「同じ生きるのであれば、内にこもるよりも、外に出ていく方がよい」というものでした。家から出て様々な場所へ出向き、たくさんの人と出会って見聞を広げるべきだ、と。

 さほど外交的ではない、と言うよりは内向的性格である私も、その風潮に乗って、なるべくあちこちへ行ったり人と会ったりするようにしていました。が、いざ「家にいましょう」となって引きこもっていると、コロナに対する不安を除けば、明日は会食、明後日は出張‥‥といった日々よりもずっと、落ち着いた気持ちでいられるではありませんか。

 友人知人の中には、在宅勤務が苦痛だ、と言う人もいました。「やっぱり会社の人に会いたい」のだ、と。また、「おしゃれして素敵なお店で食事がしたい!」と身悶える人も。

 対して自分は、その手の苦痛がかなり、薄いのです。毎日料理をするのは多少面倒ではあるけれど、毎日似たような服で家の中にいるのも、苦にはなりません。

 10代の頃、どうやら自分は内向的かつ怠惰な性格であることに気づいた私。しかしそれは「根暗は罪」とされた時代だったこともあって、「これではまずい。人から誘われたら断らないようにしよう。馬には乗ってみよ、人には添うてみよ!」と決心し、以来自分を鼓舞しつつ、何十年も生きてきました。が、このコロナ時代になって「ずっと無理をしていた」と気づくこととなったのです。

 人が「外」へと向かう動きを、コロナはいったんストップさせました。しかしその結果我々は、自分の「中」へと向かう時間を与えられたとも言えるのでしょう。「外」へ出て行くことに夢中になるあまり、なおざりにしていた自分の「中」を、久しぶりに探検してみる機会となっているのではないか。

 とはいえ私も、家にこもる生活がさらに続けば、人恋しくなるに違いありません。コロナ問題が収まったなら、無理をして外に出るのでなく、出たいから外に出るという新鮮な喜びがきっと、心に沁みることでしょう。
 
 【築地本願寺新報 2020年5月号より転載】

酒井順子

エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経て、エッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がベストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『無恥の恥』(文藝春秋)『うまれることば、しぬことば』(集英社)など。

【上記記事は、築地本願寺新報に掲載された記事を転載しています。本誌の記事はウェブにてご覧いただけます】


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