24.02.24_自分を褒めるのは苦しく、責めるのは心地いい
こんばんは、多部栄次です。
気まぐれ日記やっていきましょう。
引越の荷物が届きましたので荷解きをして5時間。9割は終わらせることができて、残り一割はまぁ収納ケースとか買ってからでいいかぁと思っているので、1,2週間かけてぼちぼちやってこうかなぁと。
労力の9割は本を取り出してデカい本棚に収納することでしたね。荷物の8割は書籍なので大変でした。でもそれが終わって本棚すべてにびっしりと本が詰まって並んでいるのは圧巻というか達成感があるというか。にやにやしちゃいますね。いやぁ学生の頃から買い続けているのか。電子書籍含めて何百冊あるんだろ(いくら費やしたのかちょっと想像はしたくないですけど)
本題に入りますが、自分はよく卑下したり自責の念に駆られることが多いです。何かあったら大抵「俺なんかやっちゃいました?」って思いますからね。他の人が悪かったとしても「自分にも原因はあったんだろうな」「自分が何か行動を起こしていれば防げたかもしれない」と考えたりします。
あとは完璧までは求めなくても理想を求めやすいです(性格:INFP-Tの仲介者)。それで不満足なところが分かるとその穴が気になってすぐに塞ぎたくなります。そういった欠点こそが個性であり、その人の魅力であるとは頭ではわかってるのにどうして「自分はダメな奴なんだ」と責めてしまうのか。幼少期のトラウマでしたり環境による影響が根本的な原因でしょうが、自分なりに思っているのは、自分を苦しめることは麻薬なんだろうなと感じています。要は自責依存症みたいな。これもしかしたら前にも記事で書いたかもしれませんね。
根拠となる文研を調べてないので以下は適当言っているだけですが、煙草やドラッグも自分の心身を壊す代わりに快楽を得ていますよね。自責も心というか脳を傷つけている行為で、そういった危ないことするとどうしてかドーパミンのような快楽物質が出るんですよ。心理的な部分に触れるとすると、責めることや苦しむことの方が楽だからと、僕は思います。
こう言うと批判の声が飛んできそうですが、もちろんあくまで個人の一意見ですので、こっちは好きで苦しんでいるわけじゃないんだぞって気持ちももちろん大事にします。というか僕がその一人なんですけど、冷静になって遠くから自分を眺めてみるとそう思ってしまったんですよ。
そして自分を慰めたり褒めたりすることの難しさときたら。逆に苦しいですもんね自分をほめるのって。むしろくれと。自分いま苦しいですから人から褒められたいと欲してしまうんですよ。自分で褒めるという作物を生産するのは大変なので。あれです、創造は延々の苦痛を伴って、破壊は一瞬の快楽を伴うってやつです。石油作るのに幾億年かかったのにそれを豊かな資源として様々な楽(発展という名の自由度の向上や不便からの解放)へと一瞬にして繋げていくんですけど、その代わり環境を汚染して自ら蝕んでいくような(よくわからん例え)。
だけど褒めの自給率を高めないことには自分という国は安定しないですし、いつ外部からの輸入が途絶えるかもわかりません。外部が自分に対してメリットを感じなければ、大半は離れていきます。逆に言えば、自己肯定感の自給率を高めてあふれ出していけば、どんどん外に褒めを輸出することができる、そんな風に考えてます。
それじゃあどうやって褒めの自給率を高めるか。そんなの僕が知りたい。僕なりに思うのは、
ですかね。それを3ヶ月続けてみてなんか違うなと思ったら別の方法考えてみるといいかもしれませんね。自分のことなのにすごい他人事。どうした。
とにかく、自責という麻薬をやめるのは大変ですが、地道にその回数を減らして、毒を薄めて、傷を癒し続けるのが遠回りのようで一番の近道かもしれませんね。理想主義や完璧主義だとしても、その人の理想や完璧になる必要はないんだよと自分に言いたい。あれこれ言われても流せる力が欲しいですね、なんて。
画像はWikipediaよりお借りしました。
それではおやすみなさい。明日も良い一日を。
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