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夜間逃避行|掌編小説

 ――夜の散歩。

 ただの散歩なのに、これを深夜に行うだけで、妙な緊張やドキドキがある。

 そう。

 子どもの頃、親に黙ってこっそり家を抜け出すドキドキに近い。玄関を出る瞬間は、まるで冒険にでも出る気分だ。財布も時計も、見えない足かせの携帯電話も、自分を縛るものは何も持たない。

 ――徘徊ではない。これは現実逃避。

 私の住む町はオホーツクの山間にあり、8月下旬ともなれば夜のひんやりした空気が秋を感じさせる。鈴虫の大合唱と、クマ笹がガサガサと風に揺れる音を聞きながら、まばらにある街灯を道標にふらふらと歩くフリーダムさは、昼間では決して味わえない妙な高揚感がある。おそらく、人や街が寝静まっている時に活動している、一種の背徳感……とでも言うべきか。

 コンクリートと埃の匂いにまみれている昼間と違い、夜は大地と緑が静かに呼吸しているような気がして、私もその一員となって夜の香りと空気を思いっきり吸い込むと、自分も地球の一部なのだと実感する。

 そんな地図のない現実逃避行も、実は目的地が決まっている。いや、どうしても引き寄せられてしまうと言うべきか。そこは立入禁止になっていない、高台の重機置き場だ。昼間に来ても何も面白くないのだが、ここから見える夜景はなかなかのもの。
 遠くを流れる車のヘッドライトとテールランプ、鉄塔のてっぺんの赤いゆっくりした点滅、それらはまるで現実感のないミニチュアのようで、まるで催眠術にかかったようにずっと見てしまう。孤独とは違う。世界からほんの少しだけずれた場所にいるような不思議な感覚。おそらくこれを「非現実」や「非日常」と言うのだろう。1日の中のほんのわずかな、まさしく自分だけの時間。

 さて、そろそろ日付が変わる頃だろうか。

 帰ろう、自分の家に。

 いや、現実に。


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