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「人の役に立ちたい」「誰かの助けになりたい」「何かに貢献したい」の前に自分に貢献できていますか?

T&Sです。

今回は、自己犠牲や人に尽くすのが美徳と思っている人の固定観念を破壊したいと思います。

あなたは今、「人の役に立ちたい」「世の中に貢献できることがしたい」と思っていますか?それを探していたり、そう思ったことはありますか?
かなり多くの方が思ったことがあると思います。
私にも過去ありました。
これには私にある仮説があり、不幸になる第一歩と捉えています。

結論をお伝えすると
人の役に立つ前に、世の中に貢献する前にすることがあります。
それは自分を満たすこと。
自分を満たさずして外部に何かで貢献することはできません。
どうして多くの人は「誰かの役に立ちたい」とか「困っている人を助けたい」とは思うのに「自分を満たしたい」「自分を救いたい」「自分を幸せにしたい」という発想がないのでしょうか。
私にはそれが不思議でたまりません。
これこそが世間の誤った価値観の「人助けが美徳」「人の役に立つことをするべき」「人に尽くすことで自分が満たされる」という間違った価値観が広まっている悲劇だと感じています。

この考えでいくと自己犠牲な人、自分を押し殺すひとは世の中からいなくなりません。
むしろそれが素晴らしいという考えがある限り、増え続けてしまいます。
今、この時もそれが発生しているのです。
それは止めないといけません。

仮に多くの人に幸福や役に立つことを提供出来て、あなた自身が何も満たされていないとしたら、その状態で亡くなる時に「最高の人生だった」と心から言えますか?
私だったら言えません。
それにそんな最後だとしたら怖すぎて絶対にそんな人生は歩みたくないと思ってしまいます。
それに「人の役に立ちたい」「何かに貢献したい」と思うのは自分が満たされていないから出る思考なのです。
満たされていれば、役に立つことで自分がどうなりたいのか相手にどうなって欲しいのかが明確に出てきます。


自分が満たされてなさすぎて、人に喜んでもらうことで自分を何とか満たそうとする他者依存と言えます。
そして他者依存で本当の意味で満たされることはありません。
何故ならそれが相手に喜ばれることか分かりませんし、100%相手が喜ぶことをしようとするとそれこそ「自己犠牲」で尽くすことになってしまうからです。
他者依存は相手に喜ばれるかが全てなので喜ばれなかったら終わりだからです。
自分を満たすのは自分次第でどうとでもなるからです。
自分が満たされていないのに自己犠牲して、相手に尽くすなんてハードル高すぎると思いませんか?
そんなことをするから相手に期待しすぎたり、相手が喜んでくれなかったら腹が立ったりするのです。

今、この瞬間から「自己犠牲で人に尽くす姿は素晴らしい」「人の役に立つ人生は素晴らしい」この考えを捨ててください。
代わりに「自分を満たすために行う人生こそが素晴らしい」「自分の幸せに自分で貢献することで他者の幸福に繋げることができる」」
この考えに変えてみて欲しいです。

そして改めて、「自分がどんなことに幸せを感じるのか」「どんな時に幸せだったか」を考えみてほしいです。
人の役にたてなくてもいいんです。
世の中に貢献できなくてもいいんです。
そんなことよりも自分を満たせば、気付けば勝手に役に立っていたり貢献できていますから。
相手に尽くし、相手から何かを得るのではなく自分を満たすことで自分の内側からエネルギーを得ましょう。


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