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今までの人生45(骨になった父)


人があまりいないロビーの片隅にいても
いつまでも涙は止まらなかった。

どのくらい時間が経っただろう
火葬が終わりまたみんなが集まった。

骨だけになってしまった父。

頭の方に骨壷に骨を収めてくれる
専門の女性が立っていた。
そして父を囲むようにぐるっと
私たちは並び
その女性の説明を聞いていた。

私の頭には説明は残っていない。

ただただあれだけふくよかだった父が
棺桶でガリガリなのを見て
骨になった姿を見る。


順番に骨をひろい骨壷に入れる。
説明してくれる女性がこの骨をひろって下さいと
指定してくる。
そしてそのひろった骨の説明をしてくれていた。
骨壷から形が残っている骨がはみ出ると
専用の棒のようなもので骨壷の中の骨を
ゴツゴツと潰し砕いていた。

骨ひろいは祖母や祖父でもした経験はあったが
まだ子供の頃だったので覚えていなかった。

骨になってまでゴツゴツ潰される父の骨
当たり前の作業なのかもしれないが
父は骨になってまでもまだ痛い思いを
しなくてはならないのか・・・

気がついたら父は骨壷に収まり
きれいに箱に収められ綺麗な布に包まれて
母が抱いていた。

車で来ていた親族は現地解散。
マイクロバスで来た私たち家族と親族は
実家近くの葬儀場まで戻ってきた。

お世話になった葬儀場の方々に挨拶をし
各々解散した夕方。

 もう年末28日だ。
可愛がってくれていた従姉は当日の夜。
弟家族は翌日帰宅した。

私は5年ぶりに遠出したのもあり
母と積もり積もった話を
仏壇の横に置かれた骨つぼの父と
泣いたり
笑ったり
謝ったり
ぶつかり合ったり

父の遺影や骨壷を見たりしながら
疲れる果てるまで語り合った。

私の知らなかった父と母の5年間。
母の知らなかった私の5年間。
たった一日では語りきれない。

せっかくだし
今年の年越しは実家で母とふたりで
迎えることにした。

私は帰宅しても良かったのだが
1人になった母を父が骨になってしまった当日に
独りにすることは私にはできなかった。

母はこれからどのように生活していくのか。
気力がなくなってしまうのではないか。
心配でならなかった。

翌日、母は朝からご飯を炊き
お水・ご飯・父が好きだったコーヒーを
供えていた。

私もその動きで目が覚め飛び起きる。
お線香あげてから私たちもコーヒー飲もう。
ウンウンと頷き
線香を立て仏壇に手をあわせる。
小さな声で母は父になにか話しかけている。
結構長く語り掛けていたが、最後に聞こえたのは 

「お母さんもすぐ行くからね・・・」

まただ・・・
今は聞けない。
でもどうゆう意味で言ってるのか
気になって仕方なかった。
怖かった。

年末年始、実家で母と過ごす間に
どこかのタイミングで聞こう。
そう心に決めた。


今日はここまで


午前中は、優しかった従姉の1つ年下の妹。
私にはもう1人の従姉。
2人で2ヶ月に一回同じ美容室に
白髪染に行っている(笑)
従姉も独身。
5つ年上の従姉。
いつまでも元気で仲良くしていたい。

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。