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今までの人生14(疲れたなぁのサイン)

先輩が私に渡してくれた手紙・・・

その手紙の内容は

〇〇(私)さんの近くで相談にのってくれる病院を
母が探してくれました。
どうかお願いです。
一度相談に行ってみてください。

と、病院名・住所・電話番号が
書かれたものだった。

???
何を相談に行くの?
私どこも悪くないのに・・・

気持ちはありがたかったが
私には病院に行かなくてはならない理由もわからず
申し訳ない気持ちを伝えられずに
そのまま勤務を続けていた。

そんなある日
別の同僚女性からも「大丈夫?」
と聞かれるようになった。

「大丈夫ですよ?」

「私何かやらかしましたか?」

と聞きいた。

「ううん。やらかしてはいないけど
 なんか元気無さそうだったから(汗)」

私は本当にバカだった。

自分は元気なつもりでいたからだ。

私を気にかけてくれていた人からすると
どんどん弱っていってる私が心配で
仕方なかったようだった。

自分ではたいして気になっていなかったのだが
そのころにはすでに

寝つきが悪くなり
起きるのがしんどくなり
遅刻ギリギリで出勤し
入室パスも悪れてしまうくらい

どんどん心を病んでいっていた。

いよいよ朝礼時間が始まってる最中に
出勤するくらいの遅刻をするようになり

「最近気がたるんでるんじゃない?
    出勤人数決まってるんだから遅刻したり
    休んだりするのやめてくれる?」

パワハラ上司に言われるようになった。

「申し訳ありません。以後気をつけます。」

それを気に、帰宅しては涙が出て
ご飯も食べる気にもならず
眠れなくなり
遅刻したら大変と思い徹夜状態になり
気が付いたら帰宅しながらの道中でも
泣くようになっていた。

疲れたなぁ・・・

馬鹿な私はここまで来てやっと
自分が疲れている事に気が付くのだ。

翌朝、出勤の準備をし

「さぁ、今日も耐えるぞ!」

と、玄関に向かい靴を出し
履こうとすると足が動かない。

靴が履けないのだ。

もう家を出ないとまた遅刻してしまう。
靴を履かなくちゃ!

でも履けない。
意味が解らない(汗)。

とても嫌だったが
その日は体調が悪く休みしたいと電話をした。

「休むならさぁ、もっと早く連絡くれない?
 人数合わせに困るんだけど・・・」

会社のいうことは理解できるが
・・・

「申し訳ありません。」

それしか私には言えなかった。

「靴が履けないんです(泣)」

なんて言えなかったからだ。

その日は寝不足もあってかすぐ横になり

なぜ靴が履けないのだろう
なぜ靴が履けないのだろう
なぜ靴が履けないのだろう
・・・

いつの間にか眠りに落ちていた。


今日はここまで


本日はこれから実家へ出かけ
母の様子を見に行き
病院へ付き添いで行く。
靴が履けなかった私が
自ら靴を自然と履けるようになるまで
約5年かかった。

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。