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今までの人生33(独りがいいけど人に会う大切さ)

久しぶりのメンクリ。
看護師はあの嫌な看護師。

看護師の言っている

「あー○○さんね。
    完全予約なので時間遅れても
    予約日の受付終了時間までには
    来て貰えます?」

これは間違っていないのはわかる。

でもメンクリの看護が患者に発する
言い方ではないだろう・・・
と、思いモヤモヤ、イライラ
複雑な気持ちで呼ばれるの待っていた。

やっと自分の番が来た。
先生の顔を久々に見てホッとしたのか
グズグズ堪えてた涙は
号泣になっていた。

「どうですか〜」

先生が最初きにく言葉はいつもこれだ。

・薬を飲まなくなったこと
・飲まなかったことで調子が良く感じたこと
・食欲がコントロール出来ないこと
・通院したくても出来なくなったこと
・引きこもってる間に母が来てくれたこと
・途中からうつ病だと言われた頃のような
 状態に戻ってしまったこと
・久々の予約時に看護師に冷たくされたこと

等など

心に詰まっていたことや
伝えたかったことを
吐き出すように話した。

薬を飲まなくなったことはダメ❌と言われた。
当たり前のことだが治療のため。
薬をやめてスッキリして
元気になった感じがするのは
ボーッとする落ち着かせる作用がなくなり
シャッキリする感じが改善したと
勘違いさせてしまうこと。
らしい・・・

これはうつ病の人にありがちなことで
薬を飲まなくなるとその後
ものすごく辛くなること
の説明をされた。

沢山頑張らなくていい。
薬を正しく飲んで
通院をすることだけは
リハビリのためと思って
これだけは頑張りましょう?

あとお母さんが来てくれたことは
良かったねと言われた。
ネットの友達と話をすることもいいことだけど
直接、人と会って会話するとこは
とてもいいことなのだそう。

そんなこと、この時の私には
いいことなのかどうか分からなかったし
どうでもいいと思っていた。

でもまた通院出来るよになり
通院後は母に連絡するようになり
障害者の父がデイサービスで
母が自由に動ける時は
会いに来てくれるようになった。

母が来ると思うと部屋を片付けなきゃ。
お昼何食べようかな。
父の症状が聞けるな。

という楽しみというか希望というか
そんな気持ちになれた。

右半身麻痺になった父が
杖をついて自分から出かけるようになり
左手で文字が書けるようになり
リハビリを頑張っている話を聞くと
私も頑張ろうと思えた。

今思えばリアル社会を
遮断してきた私にとって
外のことが分かるのはいい刺激に
なっていたのかもしれない。

私は辛くても通院することを諦めず
隔週通院する度に症状に合わせて薬も変わり
変化があることが少し嬉しかった。

母も変化に喜んでいたし
言語障害の父ともパソコンのことや
父の作業療法の話などをするようになり
少しだけ元気になっていく自分を
感じられるようになっていた。

そんな生活を2年くらい続けた。


今日はここまで


今日まで実家へ訪問宿泊していたので
実家ペースの生活リズムだったのが
今夜からは自宅ペースに変わる。

気が楽になるのと、1人になる不安。
これの繰り返しを今はしているけど
月に環境の変化が隔週であることも
リハビリになっていると思えば
辛くないし、当たり前になっていく。

習慣になるとこんなに違うんだと
感じられるようになったのは
少しずつ成長してるのかな?
なんて少し自分を褒めてみる。

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。