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ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア James Tiptree Jr. "Her Smoke Rose Up Forever" 2

今年9冊目の洋書、ジェームズ・ティプトリー・ジュニアの短編集 “Her Smoke Rose Up Forever”、11月末で最後 3編だけのこして90%を手前にギブアップ。悔しいが、短編集とはいえ文字ぎっしりの全535ページ、・・・いちおう、読了としておこう。

ジェームズ・ティプトリー・ジュニア、どのような作家であるか、また、作品の魅力については、以前に書いた記事を参照していただければ、と思う。

全18編収められている。

今の COVID-19 のパンデミックを思い出させる “The Last Fight of Doctor AIN”、女性を虐殺・抹殺するコンセプトが世界中の男性に広がっていく世界を描く “The Screwfly Solution”、 地下に寝かされて脳神経を接続された女性が遠隔操作をして動くアンドロイドを巡る物語  “The Girl Who Was Plugged In”、一旗あげようと上司とコンピュータに背いて異星の地で古代文明を調査しようとする若手研究者を描く “And I have Come upon This Place by Lost Ways” 、3人の宇宙飛行士が長い宇宙船での旅を終えて戻ると地球が数百万人まで人口が激減し女性ばかりの世界となっていた “Houston, Houston, Do You Read?”、生まれつき上に大きくむいた豚のような鼻を持って生まれた女性が虐めや差別にも負けずに勉学に励み宇宙飛行士になったうえで宇宙船を乗っ取り地球の人間社会を脱出し異星にたどり着く不思議な愛と死のストーリー “With Delicate Mad Hands” 地球人によって征服されたうえ虐げられ奴隷のような扱いを受けてきた異星人の一団が宇宙船を乗っ取り時空間を脱出し同胞が支配を取り戻した世界に逃れてみると…”We Who Stole the Dream”、などなどが印象に残った。

1970年代に書かれたとは思えないような、発想がとんでいる斬新な舞台設定や、見慣れない単語や言い回し、そしてはっとするストーリー展開で引き込まれていくうちに、読んでいる途中に何度も読み返しながら最後まで読んでみると「なるほど、そういうことだったのか!」と、思わず、もう一度読み直してしまう、そんな面白さがある。

ところで、最近、こんなニュースが目にとまった。

地球外生命体が宇宙船にくっついて地球を侵略する可能性を科学者が警告 - GIGAZINE

この記事を読むと、人類が探索しようとし、SF小説や映画にも描かれる地球外生命体、あるいは知性というのは、ほとんどが人類の延長であることに気が付かされる。この記事に書かれている「可能性」にしても、微生物やバクテリアといった、細胞や分子レベルでは私達と共通のなにかを想定している。

「私達は実は人類を探しているだけだ」と喝破したのは、スタニスワフ・レムの「ソラリス」のなかでのことだ。実は、私達が探しているのは私達の先輩か後輩あるいは、友か、あるいは敵だ。

仮に、他の世界に知性体がいたとして、それは私達を認識できない、あるいは私達が認識できないものであるのではないだろうか。さすがに、ジェームズ・ティプトリー・ジュニアもそのようなものを書くことはできていない。私達が認識できないものを私達が書くことはできないからだ。

もし、知性を「自らの生存のために、自らの環境を認識し、自ら変更を加えていく能力」と捉えるならば、知性持つ存在がコンタクトしたときに、人類は、あるいはその知性体は、必ずお互いに関わらざるを得ないだろう。私たちの存在はそのような知性体にとっての外部環境であるからだ。

そして、私達となんらかの形でコミュニケーションができる相手は、少なくとも、私達と同じ時間軸と同じ空間認識のなかで生きている者だけであるはずだ。私達の意識と言葉は、時間軸と3次元空間の枠をこえて世界を認識することはできないからだ。そして、生存への欲求と感情はその枠内の自らの有限性によって生まれてくるのだ。

この地球上でも、人類と心を通じ合える人類以外の知性体はいない。

そして、もし、人類とコミュニケーションができる地球外知性体がいたとしたならば、人類同志の争いと同様の争いが起こることであろう。やらなければやられる。私達が異星人を征服し奴隷にするかもしれないし、虐殺・抹殺するかもしれない。私達が異星人に征服され、虐殺されるかもしれない。私達が歴史で辿って来た道をまた辿ることであろう。共存できる道があるとするならばパワーバランスを保てるときのみだ。もし、地球外知性体と疑心暗鬼もなく心を通じ、共通で限られた資源を争うことなく、支配ー被支配の関係も生まれず、仲良く共存共栄できるような関係を築けるとするならば、地球上で人間同志がそのような関係を築けるようになってなければならない。

そのような人間が将来現れたとするならば、私達のような現生人類には理解できない異質の人類となっていることであろう。

彼女の作品にこのようなことがはっきりと書いてあるわけではないが、そのようなイメージが、生と死、ジェンダー、といったテーマの底に流れているように思う。全体的に暗いトーンだ。死と滅びのイメージが全体を覆っているが、淡々とした記述で情動に訴える記述はない。死後の世界が書かれているわけでもなければ、永遠の生が書かれているわけでもなく、人類の躍進もなく、主人公の、つまりは私達の逆転勝利もない。私達は生まれて滅びていく。


私達はどこから来てどこに行くのだろうか。


■ 関連 note 記事

ソラリスの陽のもとに:Stanislaw Lem "Solaris"|Shimamura, T.|note

侵略する理性と言葉:P. K. Dick, "VALIS"|Shimamura, T.|note

聖なる侵入:P.K. Dick, "The Divine Invasion" - VALIS三部作・2|Shimamura, T.|note

Liu Cixin "The Deep Forest (The Three Body Problem Book 2)" 「三体Ⅱ・黑暗森林」|Shimamura, T.|note

Liu Cixin 劉 慈欣 "Death's End"「三体Ⅲ 死神永生」|Shimamura, T.|note

過去と未来の現在への侵略:神林長平「完璧な涙」|Shimamura, T.|note

永遠を捨てて得る永遠:伴名練「なめらかな世界と、その敵」|Shimamura, T.|note


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