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Liu Cixin "The Deep Forest (The Three Body Problem Book 2)" 「三体Ⅱ・黑暗森林」

2019年に日本語の翻訳版が出て話題をさらった劉 慈欣作の「三体」は3部作の1作目であった。今月、3部作の2作目にあたる「Dark Forest」を読んだ。原題は「黑暗森林」、2008年に中国で出版され、2015年に出版された英語版だ(*1)。2018年アーサーCクラーク賞受賞、今年、2020年6月18日には翻訳版が早川書房から出版されるということである。

これも紙の本の長さで513ページの長編だが、英雄物語でも帝国盛衰記というものでもない。人類の愚かさや地球文明への感傷や、あるいは大いなる希望が歌い上げられているわけでもない。が、想像力の豊かなスケールの大きい叙事詩で、SFならではのセンス・オブ・ワンダーがたっぷりと詰め込まれていて、とても面白く、一気に読了した。

前作の次の時代の物語だ。すでに三つの太陽を持つアルファケンタウリから太陽系に侵略軍が出発していた。しかも、彼らは、次元を圧縮した Sophon を地球に送り込み、量子もつれの原理を使って、彼らを神と崇める一部の地球人と通信し、地球の情報を収集しているのだ。さらに、Sophonを通じ人類による先端科学の研究が封じ込められてしまった。このような八方ふさがりの状況の中、地球上では約400年後にやってくる彼らを迎え撃つべく、地球文明の生き残りをかけた様々な動きが始まっていた。

・・・・せっかく日本語版の出版を楽しみにしている人が多いだろうから、これ以上のあらすじや詳しい感想はここには書かない。

ただし、本書で重要なコンセプト "Cosmic Sociology" について、考えたことを少しだけ、以下に記しておく。

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さて、前作と同様、視点を複数の人物に振り分けて物語が進展していく。それぞれが内に秘めた思いを持ちながら生きていき、時代と社会のなかで翻弄され、それぞれの最後を迎える。過剰な表現や感傷的な叙述などはなく、淡々とした表現が、むしろ心を打つ。

中でも、物語を通して Luo Ji が一本の軸を作るが、他に、前作でも大活躍だった Da Shi も、Luo Ji を助け、いい味を出している。

この物語の大きな軸は、冒頭で、Ye Wenjie から Luo Ji に口頭で伝えられる "Cosmic Sociology" のコンセプトだ。Ye Wenjie は 前作「三体」でアルファケンタウリ星系にメッセージを送り、彼らの地球への侵略を招いた女性天文学者だ。Cosmic Sociology, 訳すと「宇宙社会学」といったところだろうか。 Ye Wenjie は、やはり天文学者だった娘の墓の前で、Luo Ji に次のように言う。

Suppose a vast number of civilizations are distributed throughout the universe, on the order of the number of detectable stars. Lots and lots of them. Those civilizations make up the body of a cosmic society. Cosmic sociology is the study of the nature of this super society.

私なりに翻訳すると次のような感じだ。

宇宙の中には、観測できる星の数だけ、沢山の文明が生まれているとしましょう。これらの文明は全体で宇宙の社会を形作ります。 Cosmic Sociology はこの超社会を研究するものです。

さらに、2つの根本原理と2つの重要なコンセプトから Cosmic Sociology の基本的な姿が見えてくると言う。

First: Survival is the primary need of civilization
Second: Civilization continuously grows and expands, but the total matter in the universe remains constant.
(omission)
To derive a basic picture of cosmic sociology from these two axioms, you need two other important concepts:
Chain of suspicion, and the technological explosion 

私なりに翻訳すると次のようになる。

1.生き延びることが文明の最も基本的な欲求である
2.文明は、継続して成長し拡大していくが、宇宙にある物質のトータルは一定である
(略)
Cosmic Sociologyの基本的な姿を導くのために、重要なコンセプトが他に2つあります:
疑念の連鎖と技術の爆発的進展

話を単純にすると、宇宙を持ち出すまでもなく、文明と文明の間の生存競争のことで、考え方は、システムシンキングの「共有地の悲劇」に、ゲームの理論を組み合わせたものであると理解できる。コミュニケーションの成り立つ範囲と、物理的な移動が可能な範囲から、その世界の「宇宙」が、大陸規模なのか、地球規模なのか、宇宙規模なのか、が変わる。

そのようにして思うと、なぜ、今、地球上に人類は、私たち現世人類だけなのか、ネアンデルタール人やその他の近しい人類が遠い昔に姿を消してしまい、記憶にさえ残っていないのはなぜなのか、それは Cosmic Sociology によっても説明できるだろう。また、幾多の生まれては消えていった国や社会、植民地支配なども、同様の枠組みで理解できるかもしれない。

本書のいくつかのストーリーもこの Cosmic Sociology の帰結である。生存欲求を持ち、技術と武器を持つ複数の社会が、物理的に距離を置かれてコミュニケーションの分断があるとき、お互いに疑心暗鬼をつのらせる。たとえ、今、わが方の力が強いと思えても、あるいは双方の力が均衡していると信じられても、いつ、相手方がイノベーションを起こして自分たちを出し抜くかはわからない。それは今かもしれないのだ。そしてわが方と相手方とが使えるトータルの資源は限られているのだ。・・・やらなければやられる。

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局面を大きく変える鍵はオープンで時間遅れのないコミュニケーションだ。新しい局面を導入して共通の利害を作り出す。そして、そのなかで取引を成立させ、共存を図る。

さて、振り返って私たちが今いる社会を見てみよう。

例えば国を単位とした世界の多極化が、他の関係を凌駕する強い影響力を持つようになるとすると、Cosmic Sociology の示す方向に進むことになるとも考えられる。「社会の分断」や「世界の多極化」が顕著になることが望ましくないのは、その必然的な帰結が「やらなければやられる」となるからだ。

根本的に変わるためには、Cosmic Sociology の第一の原理を変えることである。すなわち、あらゆる執着を捨てる、生存欲求さえ捨て去ること。お互いに慈しみの心を持つこと。しかし、それでは、食うか食われるかの生存競争の場である黒暗の森林の中でひっそりと無くなってしまうのではないか?だが、最後に残る勝者でさえ、黒暗の森林の資源をすべて使いつくした後は、あるいは黒暗の森林が膨張して冷え切るか、収縮に転じて無限の高温の点になるか、いずれは、いかなる文明も、社会も、消えてなくなるのだ。

ところで、無線技術やインターネットの発達によるコミュニケーションによって、人と人とのつながりは国境を越えて距離が縮まった。しかし、考えの異なる人たちの間の距離はむしろ遠くなったかもしれない。そして、さらに国ごと、あるいは民族ごと、宗教ごとの、企業活動ごと、それぞれのグループが複雑にからみあっている。そして、それぞれが独自の欲を持ち、階層構造もお互いの関係も複雑である。お互いに、そのようないろいろな利害関係の網の中にいるのだ。

また、互いに共生する関係も複雑な様々な形態が考えられ、そのようにして地球上の生態系全体もバランスをとってシステムとして成り立っている。

であるから、現実に今、宇宙船地球号の表面に住んでいる私たちの運命は、単純には割り切れないし、仮に地球人類とぶつかる宇宙人がいたとしても、単純には割り切れないことになるだろう。

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さて、最後に、一点。

地球と同じような文明を持った星が他にあるだろうか。もし、Cosmic Sociology をベースに考えるのなら、私たちの到達できる範囲の時空間の中に、そのような異星人の文明はない、その確率が非常に高い、と言えるだろう。もし、あったとしたならば、すでに地球に侵略してきているだろうからである。

あるいは、人間がまったく理解できない異質な何かならいるかもしれない。お互いに認識できず理解もしあえない何かと、共有資源を争うことになったらどうなるだろうか。

それは地球上にすでにいるかもしれない。



■注記

*1) なんで中国語原作の本の英語翻訳版を読むのか、その点は、以前、前作の "Three Body Problem"「三体」にからめて、書いておいた。単にひねくれものだからかもしれないが。



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