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Liu Cixin 劉 慈欣 "Death's End"「三体Ⅲ 死神永生」

先々週、中国の気鋭のSF作家・Liu Cixin 劉 慈欣の三体・三部作の最終章、"Death's End" 読み終えた。
400年後の未来、それまで訪れた再三の滅亡の危機を奇跡的に乗り越えたかのように思えた人類を待ちうけていたのはあまりに過酷な運命だった。不思議な感覚のエンディング。

第一作「三体」"Three Body Problem"や、第二作「黒暗の森」"Dark Forest"の続編である。1453年のコンスタンチノープル陥落の舞台から物語が始まる。数々の道具立ての斬新なアイディアや、時間軸のスケールの大きさ、登場する人物の視点で淡々と語られる物語、魅力は変わらない。ちょっと乗れない部分があるのも同様だった。

今回は Chen Xin という名の女性が中心であり、前作の Wall Facer Luo Ji も Sword Holder として登場し、節目節目で重要な役割を担う。

そのうち日本語訳版も出ると思うし、これ以上、細かくストーリーを追うことはしない。

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私たちがこの地上に生きていることに何か意味があるのだろうか。地球が誕生してからこれまで45億年とちょっとだと言われている。地球が滅亡するまで90億年だったとする(*1)。私たち現代に生きる人間の一生は「人生100年時代」と言われているし、100年としよう。地球が生まれてから滅亡するまでを24時間におきかえると、私たちの一生は約 1ms (1000分の1秒)である。

人が一生の間に移動する距離はどのくらいだろうか。毎年のように海外旅行にいったり、仕事で海外を飛び回っている人もいれば、地元の友達とつるむだけの人もいるだろう。私自身は、毎日の通学・通勤、毎週のジョギング、最近は京都の自宅と横浜の単身赴任先の間の月1-2回程度の往復、たまの旅行と、少し前の数年間はけっこう頻繁だった海外出張、だいたい50万 km 前後くらいだろうか。私が死ぬまで75万 kmより少ないくらいかな、地球を約16 - 18周分くらいということか。

一方で宇宙の大きさはだいたい150億光年と言われている。1.4e23 km程度だ。(e23というのはうしろに23個の0がつくということだ)。宇宙の全体サイズを1mとすると、人間の一生の移動距離は 5e-18m 程度、つまり 1 pmのさらに100万分の1のオーダーである。

pmはピコメータ、馴染みのない単位だろう。1ミクロンのさらに100万分の1の単位となる。100pm でだいたい原子と原子の間の距離のオーダーとなる。

とはいえ、私たちは、理由もわからず放り込まれたこの世界で、泣き、笑い、腹をたて、悔しがり、精一杯生きている。前の世代からタスキを渡され、次の世代へタスキをつないでいく。

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全ては、世界にとって、そして私たち1人1人にとっても意味があり合目的性があると考え、だからして、来世があり永遠の命があると考える、そのような考え方もあるし、意味や目的は人間の意識というかりそめの幻が生む幻想であって、この世も来世も捨て去らなければならない、という考え方もある。

前者のような考え方は、おおざっぱにいって二つの流派に分けることができるのではないだろうか。

一つは、だからこそ私たち1人1人が経験する「今、この場所」が大事なのであって、今、まさに直面している課題に対峙して自分の役割を全うして生きること、あるいは、直観と欲望に正直に生きること、そういう生き方が大事であり、そのことが1人1人の幸福につながり、ひいては世界全体の幸福につながる、という考え方。

もう一つは、だからこそよりよい未来を築くため、よりよい来世を過ごすため、そこから逆算して今やるべきことを積んでいこうという考え方である。あるべき未来を想定し(あるいは与えられ)、そこから自分の役割を見出し(あるいは与えられ)、現在を犠牲にしてでもそこを果たそうとする。たとえ、今が苦しくてもがんばる、そうして未来の自分、未来の世代がより幸せになる。

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宇宙のスケールを考えたときに、そのような考え方は本当にちっぽけだ。それに対して仏教はラディカルだ。ー 全ての欲望を執着を捨て、この世も、彼の世も捨て去る。

スッタニパータ(中村元訳)「ブッダのことば」に次のような一節がある。

全世界のうちで内面的にも外面的にも諸々の感官を修養し、この世とかの世とを厭い離れ、身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人ーかれは<自己を制した人>である。

こんな感じの登場人物も "Death's End"に出てきて、Chen Xinを救い、助けになる。ただし、多くを語らず、あまり多くを語られることはなく、他のたくさんの登場人物と同様に、特に物語のスジへの大きな寄与も大きな感傷もなく、一生を終える。

私たちはどこから来て、どこへ行くのだろうか。


■注記

(*1) 地球の滅亡、というのはいろいろ定義があると思う。10億年後かそこらには太陽の膨張による熱で地球は干上がってしまうというし、さらに太陽が膨張していくと地球を飲み込むだろう、そして太陽はあと50億年程度で一生を終えるともいわれている。そのうえで、私たちがいる「今このとき」が、地球の一生のあいだのちょうど真ん中へんだろうと単純に想定した場合、45億年の2倍で90億年なので、そうした。もちろん、その理屈で考えると人類の滅亡までの時間はもっとずっと短いだろう。

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