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侵略する理性と言葉:P. K. Dick, "VALIS"

P. K. Dick の問題作、"VALIS" を読み終えた。先々週、先週にひきつづき、VALIS の感想文、第3回である。

私たちが経験を統合して世界を認識し、概念化し、そして、世界に働きかけていくうえで、言葉が重要なことは言うまでもない。言葉は、世界そのものでもないし、世界を忠実に写したものでもない。くまのぬいぐるみを見て「くまさん」と認識したとしても、実物のくまとは似ても似つかないものである。それは記号であって背後にある概念なのだ。

また、私たちの心のなかに意思があり、誰かに働きかけたい何かがあって、それを伝える道具として言葉があるという見方もある。おなかがすいたら赤ちゃんは泣く。おなかがすいたときに「おなかがすいた」と言えるようになるのは、言葉を学習したうえでのことである。しかし、そのうち、空腹でなくても「おなかがすいた」と言うことができるようになる。そして、「おなかがすいた」と記して、次の日に誰かが見直して、「ああ、あの人はおなかがすいていたんだ」と思うことになる。そのときに本人が本当に空腹を感じていたかどうか、何を伝えようとしていたのか、は問題にはならない。

言葉は、世界を作ることができるのである。

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言葉の力は強力である。今、私がいる新横浜の事務所の外では、ラグビーのワールドカップが終わり、勝ったイングランドのファンであろうか、大きな雄たけびや歌、笑い声などが風に乗って聞こえてくる。ラグビーのルールは私はよく知っていないが、今はネットで調べればすぐに入手することができる。(競技規則 Rugby Union 2018

第1条 グラウンド、第2条 ボール、から第21条 インゴールまで、そして、序文や、レフェリーシグナルなど含め、144ページもある。ゲームはこの書かれた規則にすべてのっとって行われ、その範囲内で勝負が競われる。あたりまえではないか。もちろん、あたりまえである。ラグビーというゲームは、競技場の大きさからボールの形などの見える部分も、そして競り合いの機微も、この書かれた言葉によって作られているといってもいいし、一試合にだいたい何点得点がはいるのか、どんな体格のチームが有利なのか、そういったことは、この書かれた言葉によって、おおよそ決まるのだ。


さて、言葉は、多くの人を動かすこともでき、一人の人間ではとてもできないことをこの世界に実現させることもできる。しかし、上に書いた「おなかがすいた」でわかるように、誰が書いた言葉なのか、それが本当に、書いた人、あるいは人々の意思なのか、とは無関係に、その言葉自身があたかも意思や概念を持っているかのように多くの人を操り、世界を作り変えているのだ。人の意思が世界に働きかけ、世界を変えているように思うかもしれない。しかし、まるで、言葉が自らの意思を持ち、人という器官を通じて表現され、人という道具を使って世界に働きかけ、世界を変えているようにも思えないだろうか。

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そして、言葉は自らを複製し増殖し、人を通じて、紙の上に、地下鉄の壁の落書きに、そしてコンピュータ群の中に広がっていく。

VALIS - 数千年来、この世界に人間を通じて異世界から侵入を試みる理性と言葉、それは生きていて、遺伝子に組み込まれ、脈々と人間を通じて侵略してきた。それは世界に意味をもたらし、矛盾を生み、そして、さまざまな形で実体化してきた。


そして、P. K. Dick その人を癒し、救ったのだ。



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