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過去と未来の現在への侵略:神林長平「完璧な涙」

私達が、私っていったいどういう人間だろう、とふと考えたとき、自分は感情にふりまわされて損していることが多い、とか、自分は感情の起伏が少なく周囲の出来事に冷静に対処できる、というふうに振り返ることがあるだろう。会議で無責任な他人事な発言を聞いて怒りがフツフツと湧き上がり、思わず声を荒げて怒鳴ってしまうこともあるかもしれない。金曜日の晩に、もうだめかと思われた仕事が急転直下うまく進んで嬉しい気持ちが沸き上がり、リモートワークの自宅リビングで小躍りしてしまう、そんなときもあるかもしれない。

人は、ハチャメチャな泣き笑いの人生に憧れ、憎悪と愛の繰り広げる濃密な関係に憧れ、また、自分の感情を押し殺して仕事に徹する仕事人にも憧れる。

そんなことを思ったのは、noteでフォローしているマンガ家の、まるいがんもさんの投稿に出会ったからだ。

「悲しみを知る男」
https://note.com/neominoru/n/n5f55bfae3476

そして、この漫画の最後の一コマを見て、1990年というから30年も前に読んだ神林長平の「完璧な涙」を思い出し、もう手元にはないので、Amazonで改めて購入、その日のうちに一気に読んでしまった。


笑っているから嬉しいのか、嬉しいから笑っているのか、悲しいから泣いているのか、泣いているから悲しいのか、実は両方の相互作用だろう、とか、そもそも私に心があるのだろうか、他人に心があるとどうして信じられるのだろうか、など、関連した面白い話もあるのだが、そういうことはおいておくとしよう (*1)。

時に感情はやっかいで、人との間ではトラブルのもとでもあるし、感情を見せればそこに付け込まれる可能性もあるし、感情が自分自身を裏切ったりすることなんて日常茶飯事だ。また、どのような事がらに共感できるかによって、社会や他人とのかかわりあいは大きく変わる。

そして、感情は時間軸と結びついている。過去があって未来がある。記憶があって未来を志向するから現在の経験に対して感情が生まれるのだ。1人1人の感情ということだけでなく、社会や他人との関わりでいうならば、過去の記憶を共有でき、未来を共有できるときに人達の間で共感が生まれる。

つまり、感情は、周囲の環境や社会と歴史を結びつける自分にとってのリアリティでもあり、社会や環境、他人にとってのリアリティでもあり、両者をつないで人間の社会を構成する重要な要素なのだろう。

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さて、この「完璧な涙」の主人公・本海宥現(もとみひろみ)は無感動症、愛することもできなければ、泣いたり笑ったり悔しがったり怖がったりすることもできず、社会はおろか、家族とも絆を持つことができない。

物語の舞台も、想像力をかきたてる乾いた魅力の世界だ。戦争によって荒廃し砂漠化した地球に残された小さな都市に残された人類が住んでいる。都市には、人間の生活に必要な物資を毎夜運びこむ銀妖子と呼ばれる存在が不可欠で、彼ら正体不明の銀妖子によって、人間は世界に生かされているのだ。

そして、もう一つの主人公は「それ」と物語中で呼ばれる戦車だ。砂漠での過去の遺跡の発掘調査の中で、待機状態で眠っていた「それ」は現在に目を覚ます。

未来と過去が侵略しあう現在。機械と人間、コンピュータと知性、といったテーマとともに、神林長平の描く世界の主要なテーマの一つだが、非常に興味をそそる。本書は3章から成り立っているが、私は1章が一番好きで、その最後でぶつっと終えてほしかったところもあるし、最後のほうで話が少し理屈っぽくなってくると少々退屈する。が、やはりこうして読み直して見ると、3章あることにより「完璧な涙」の意味がより深まるな、と確かに思う。

友よ、おまえのために泣いてやろう

人がわかりあえる、というのは、単に、お互いの論理がわかるということではないと思う。世の中を渡っていくなかで、出来事に対するお互いの反応を見て、同じ世界に同じ時間にいると実感できることなのかもしれない。感情は空間と時間軸の鏡、自分の鏡であり、他者の鏡でもあるのだろう。


■ 関連note記事

神林長平にはいい作品がたくさんある。すでにいくつか note に投稿している。


■注

(*1) 情動、認知、社会について、次の本がおすすめだ。


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