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vol.073「誰にでも特技はある:管理職はなんでもいいから機嫌よくしておくこと。」

違うコミュニティの、別々の複数の人から、具体的な表現で誉められるか、評価されるかして、「あ、これって、もしかすると『お金の取れる技術』なのだな」と気づいたことがいくつかあります。
「相手の話を聞いて、相槌と質問を続けるうちに【相手が自分で】状況を整理できてしまう能力」は、そのひとつです。

相手の話を聞く、つまり相談が入ってくるためには、「とりあえず機嫌よくしておくこと」が条件ですよ、という話をします。


■姿、形の見えないものを問わない

中間管理職に『最低限のココロエ集』、というものがあるとしたら、

・判断する。その能力がないならせめて追認する
・ 「隠されたルール」があるなら事前に明示する
・ 撤退の基準をもっている。中止の指示を出せる
・ 精神論を持ちださない


あたりでしょうか。
例えば「隠されたルール」は、「だから内心反対だったんだよ」とか「事前に何々しておかなかったのか」と後づけで言い出すようなことです。

この中で、スキル・経験値が不要で、やろうと思えばすぐ実行できるのが、
精神論を持ちださない
かと考えています。

ここでいう「精神論」とは、「きもち」や「こころがまえ」など、「反証のしようがないもの」をベースにして仕事を語ること。管理者の権限をふりかざし、精神的に威圧したり、「指導」し考課評価に反映すること。

「反証のしようがない」とは、例えば

・目に見えないもの、数えられないもの。(例:「やる気をみせてみろ」「根性出せよ」
・叱責する側に、一方的に解釈権があるもの。(例:「何がダメか自分で考えろ」
・具体的な行動に置き換えられないもの。(例:「真剣さが足りない」
・理屈の上では必ず正しいもの。反論のしようがないもの。(例:「目標達成しなくていいと思うのか?」など「世界は平和なほうがいいよな?」と同じく意味のない問い)

といったことです。

反証可能な土台で話すのを「科学的な態度」。反証できない土台で話すのを「精神論」と言ってよいかと思います。つまり、精神論を持ち出す人間はその時点で、非科学的だということです。

チーム全体の仕事が溢れてしまっているとき。メンバーの手が回らず、疲弊しつつあるとき。ほしい情報が思うように集められないとき。

リーダーがやるべきは、「根性で乗り切れるよ」「そこをなんとか頼む」と【他者の心がけ】を責めたり、説いたりすることではない。

「仕組みで解決できる部分があるか」「援軍をどこからか頼んでみよう」と【自分の頭】を使って、リソースを調達したり状況を改善することです。

自分の頭を使えること。かならずしも汗をかいたり背中を見せたりしなくてもいいから、みずからの頭脳を"酷使"して、考え出したことを自分の表現で話し、指示するか、判断するか、複数案から1つを選ぶか、ぐらいできること。それができないのなら、提案にゴーサインを出す。経過を見守る。結果に責任を取る、と考えています。

■なんでもいいから、機嫌よくしておく

上司が温和でいると、相談・報告がしやすい。不機嫌、ピリピリしていると、話を持っていきづらい。この単純な原理を理解していない管理職は、案外すくなくない。
「なにかあったら相談してきて」→「なぜ報告しなかったのか」と言われる。「あんたが話しかけづらいからですよ」とツッコみたくなる。

管理職。監督。コーチ。何でもいいけれど、リーダーをやるとき、いちばん効率性が高いのは、「つねに機嫌よくいること」です。とにもかくにも、声をかけやすいこと。メンバーが顔色やタイミングを伺わなくてすむこと。

不機嫌を表に出したり、威厳を示そうとあくせくしているその瞬間も、役職に応じた報酬が支払われています。メンバーがタイミングをうかがう必要があるのは、「別件で取り込み中」(会議や来客)と「公式の休憩時間中」だけです。

話しかけづらい雰囲気を出すなどというのは、「勤務時間中に居眠りをしている」のと同じかそれ以上に「上司の仕事をしていない」。居眠りは嘲笑されて自分の評価が下がるだけで済むけど、上位者がイライラすることは全体の生産性を下げるからです。

「自分の機嫌くらい自分で取りなさい」 という名言があります。 情緒を安定させること、表情や態度を自分で管理することは、「優れたリーダーの8つの特長」などではなく、「リーダーとしての最低限の義務」です。

真剣さを伝えるつもりで、苛立ちや激高をおもてに出す。自分も大変だとわかってもらおうと、悲壮感を漂わせる。メンバーからみれば滑稽のきわみです。「イタい上司」としか思われてない。まちがっても尊敬などされていない。
それなのに勘違いしてしまうのは、「リーダー=なにか偉い存在である」という思い込み、または前の世代からのすり込みのせいでしょう。
「人格や身分の上下が存在するわけではなく、単なる機能(記号)に給料が余分に払われているだけですよ」という、基本的なメカニズムを理解できていないからだと思います。

■「へらへら」の効用

「機嫌よくしておくこと」は、当のリーダーにメリットが多い。「情報が入りやすいようにしておくこと」とイコールだからです。 
情報はつねに、精度よりも数(量)。正しさよりもバリエーションです。
相談で、情報の正確さを必須条件にするのは、大きなマイナス。「予測が外れたじゃないか!」と不機嫌になるなどはさらにマイナスです。

メンバーが相談に来るのは、情報(判断材料)がいくつか欠けているか、選択肢の中から決めてほしいか、結果責任を取ってもらいたいからです。
情報に正確さを求めて、「これじゃ判断できないぞ」「本当に確かだな?」などと言う人を見かけることがあります。先延ばしする、材料が揃わないと判断しないのなら、「じゃあ、あんた要らないじゃん」と思われています。以後、相談に来なくなる。
リーダーは、良くいえば「脳」です。情報は血液に等しい。ヘモグロビンであり、栄養であり、酸素です。情報が入ってこないことは、自分の命を縮めることです。

メンバーはリーダーがいなくてもメンバーたりえます。
リーダーはメンバーがいなければリーダーたりえません。単純な原理です。ということは、極端にいえば「へらへら」しておくこと。二枚目半か、三枚目ぐらいでちょうどいい。情報が入ってきます。
深刻にしているほうがそれらしく見えるのは錯覚です。

リーダーは、なんでもいいから機嫌よくしておくのがいい、と考えています。


何年か前のあるとき、メンバーの一人とそんなテーマの会話になり、質問され、意見を聞き、意見を言う機会がありました。

締めくくりに
「山下さんは昔からできてました?」
と聞かれたので、
「まさか。まったくできてなかったし、いま現在も練習中ですよ」
と、しかたないから正直に答えました。

最後までお読みくださりありがとうございます。


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