見出し画像

即戦力という言葉が嫌いです


自分は何か人の役に立っているのか

と、不安になることがあります。


人には誰かの役に立ちたいという欲求があるものなのだそうです。

だけど、誰かの役に立ちたいと思う一方で、即戦力という言葉が何となく嫌いです。


この言葉の中に、即戦力にならない者への圧力を感じるからです。



すぐ結果を出しなさい。
どう変わったんですか。
誰の役に立ったんですか。
数字で見せてください。




人に求めることは、そのまま自分に問われている気がします。

あなたは?
あなたは今日どれだけ役にたったんですか?

役に立つってどういうことですか?

病で苦しんでいる人を治療すること、食べ物や日用品を生産し届けること……生きる上でなくてはならない役割を担うこと。

物理的に役に立っているものは目に見えやすいですが、そうじゃない仕事は目に見えないので具体的にどれほど役に立っているのか分かりません。


私の仕事は、人を待つことです。


私が待っているのは居場所がない子どもです。


学校に行けなくても、安心して勉強できる場所を作ります。

学校から帰ってきた子どもも、夕ご飯までの時間、いつでも来ることができます。

勉強を教える日もあります。今日あったことの話をする日もあります。卓球をする日もあります。黙って本を読む日もあります。

子どもが来る日もありますが、誰も来ない日もたくさんあります。


そんな日は、何も役にも立ちません。


ただ、待って「いた」だけです。

たびたび不安になるんです。これでいいんだろうか?私は必要なんだろうかって…。


生産的じゃなくても「存在するだけで意味がある」と、言ってくれませんか。

私たちは、役に立つことを求められ、役に立つと褒められます。

でも、それだけでは、しんどすぎるんです。


今日も、私はとりあえず座って待っています。

来るか来ないかわからない人を待ちながら。

それが私の仕事。


人間を生産性で計測しない世界を待っています。




#エッセイ #自己肯定感 #私の仕事 #生き方 #ひとりごと #不登校 #不登校支援

いただいたサポートは刺繍糸を買うお金にしたいと思います。サポートが活動のモチベーションになります。ありがとうございます(^^)