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「自分」を主語にして生きていきたい
何かを決めるとき、気をつけていることがある。
そのうちの1つが、タイトルにした「自分を主語にすること」だ。
誰かのために、とかこれが正しいから、みたいなことは、少なくとも自分に対しては一切言わないことに決めている。
なぜなら、自分以外の理由で決断をするとき、少なくともわたしはその分の見返りをどこかで求めているからだ。
「誰かのために」は美談のようだけど、その分責任をその人に背負わせる。
「ため
ひとこと、手紙を置く。
以前よりちゃんと(というのも変な言い方だけど)いろんなツールを用いるようになった一方で、以前よりアナログの、紙の手紙を書くこともなぜか少し増えた。
私にとっては、年賀状を書く、年に一度しか書かないあの数行とは違う心の込め方がそこにはあるような気がしている。
手紙を書くのがとくいな訳ではない。
何にも決めずにいきなり書き出すから、文字は最初と最後で明らかに大きさが違うし、最後の一文がうまく入りき
私には「正しい優しさ」のようで。
その空間に人が集まり会話が少しだけ聞こえるようになった時 ふわりと私の中に漂った感覚は、「お話」が本格的に始まった時、より確かなものへと変わった。
「優しさ」の空気が、なんだか息苦しい。
ぶつかってごめんなさいと謝った人に対して「全然大丈夫ですよ」と(やや作り物感のあるほど)爽やかそうに言う人の声がする。
要領を得ない話でも一切口を挟まず、人の目を見てじっと聞き続ける人の横顔が並ぶ。
会場全体
アンサーソングのような。
そういうつもりで書いたnoteです。
スマホを変えた。
ますます、その人の写真を撮ることが増えた。
そのことが、ほんの少し不安な気持ちを香らせる。
わたしはなぜだか 昔から別れというものを強く意識している子どもで
自分が家族をなくしてたった一人になる将来すら、ごく小さい頃から現実のものとして想定していた。
だから家族と過ごす時間は今しかないかもとの思いで可能なかぎり優先してきたし、
友人や先輩
4月はもう終わるけれど
4月は自己紹介を、1年で1番する季節かもしれない。
自己紹介をする際、何を言うかいつも迷う。
もっと言うと、自分のどの部分を切り取って見せるのかわからなくなる。
SNSのプロフィール欄を眺めていると、
年齢、性別、学歴、趣味…が並ぶアカウントがある。
何も書いていなかったり、自分の好きな言葉が並ぶアカウントもある。
アイコンも、それぞれバラバラで
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