【書評】『世界はなぜ地獄になるのか』/面白い・楽しい【基礎教養部】

上に挙げた本と、以下に紹介する2つの記事の内容を受けて私が考えたことを書く。

本書の主題は、社会のリベラル化と、それによって生じたキャンセルカルチャーである。キャンセルカルチャーという言葉は初めて聞いたが、要は特定の人物(主に芸能人などの有名人・著名人)に対する糾弾のことであった。もちろん私も過去にツイッターなどでキャンセルカルチャーの現場に遭遇したことはあるが、それはあくまで傍観者としてであって、当事者としてではない。

「『差別』『ステイタスゲーム』が蔓延るこの地獄」と言われてもピンとこない。自分はこれまで運が良かったのだろう。そもそも社会と自分が接続されているという実感が薄い。おそらくこれは自分が浪人生であった時期の感覚が今もなお残り続けているからであろう。

私は大学に入学するために2年間の浪人生活を経験している。宅浪で、家族以外との交流は殆どなかった。そしてその生活が、居心地良かった。社会と関わりを全く持たない状態が自分にとって望ましかったわけではない。そもそも浪人生は社会と無関係であるわけではない。大学への入学を目指している時点で自分は社会システムの一部と化しているわけだし、いや、生活・人生の目的がないからといってそれは社会と自分が完全に切り離されていることを意味しないだろう。だから、私が居心地の良さを感じていたのは、自分の社会との関わり方に対してである。競争から離脱して楽になった感じがあった(実際は競争の最中にいるのに)。そしてそのときの気の持ちようが今も残っていて、もちろん当時と比べて人との交流は増えたが、それでもなんとなく浮世離れし感じが続いている。

私は地獄の住人ではない。私にとっては地獄は(今のところ)存在していない。そして私は天国の住人でもない。私は世界の住人である。当事者でない人間が当事者の世界観(世界がどのようにみえているのか)を想像することはできない。世界はなぜ地獄になるのか。その答えを探っていくと、結局は、人間の生物としての生存本能に行き着くのだろう。しかし、すべての人間が地獄に苦しんでいるわけではない。もしかしたら世界の地獄性を楽しんでいる人もいるのかもしれない。
本書に登場する「世界」はみんなが作り上げる(てきた)世界である。しかし私にとって「世界」とはあくまで私だけにとっての世界である。


私が今書いているこの文章は、所属するコミュニティで課されている、定期的な課題の一つである。コミュニティのメンバーが選定した「課題図書」を読み、書評を書くのだ。人から紹介された本を読むことは、未知の世界との出会いである。面白い。ただ、だからといって、楽しいとは限らない。自分が普段馴染みのないものと初めて対面したときに、楽しいと感じることはほとんど無いと思う。本書を読んでいるときも、楽しくはなかった。人に紹介されなかったら生涯開くことのない本であったと思う。自分の興味関心スコープがどれだけ狭い範囲を捉えているかを実感する。また、「面白い」と「楽しい」の違いを考える糸口を掴んだかもしれない。

馴染みのないものと対面することは、共通の話題がない人間と会話することに似ている。共通の話題がないと話はできないのだろうか。そんなことは決してない。話の抽象度を上げたり、メタい話をすればいいのである。好きな本のジャンルが違くても、本を読むという営みについて話すことはできる。会話が続かないなら、会話をテーマにして会話することも面白い。実際に私も普段から実践している。そしてこうした会話は面白いと同時に楽しい。相手は自分にとっての未知である。宇宙だ。自分が知らないもの、「外」に対しては面白いと思う。楽しいはもっと「内」寄りの感情である、ということなのかもしれない。上で挙げたような会話が面白くて楽しいのは、相手という未知を取り入れると同時に自分を表現できるからである。しかしそうすると、話題が何であれ会話すべてが面白く楽しいものだということになってしまう。が、これは実感に反する。共通した話題がなくても話せると言ったが、抽象化したあとで話題は共通してしまっているし、そもそも共通していない話題で話すことなどできないよな。どうしたもんか。再考の余地あり。

ここで、本記事の内容をスクロールして見返してみる。書いてある内容が、本を読まなくても書けるようなことばかりである。先月書いた書評もそうだった。

全く本の内容と関係ないわけではない。しかし、本筋とは明らかに逸れている。私の癖である。書きやすいことを書いている。読書体験をきっかけにして、そこから自分の普段感じている(た)ことを引っ張ってきている。だから、書評というよりも自分語りである。本の内容まとめなんかは、そもそも書きたくない。書いていて楽しくないからである。そう、自分の「内」を語ることと対極にあるのだから。

私は、自分が書いていて楽しいと思うこと、すなわち自分のことが書かれた文章こそが、読み手が読んでいて面白いと感じる文章であると信じている。

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