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ヤンデレヒロインという発明

近頃の病んだヒロイン

近頃、ヤンデレキャラに追われるホラーゲーム「ラブラブスクールデイズ」が話題だ。本作ではゲーム世界に主人公が閉じこめられ、その機能を破壊せしめたヒロインに追われるというのが大まかなシナリオ。


ゲーム世界から出られないという設定自体は、ライトノベルやアニメをはじめ、非常に定番なものとなって久しい今日、もはや僕達はその非日常に違和感を覚えることはなく、ホラーゲーム的なハラハラドキドキは勿論、謎ときや別エンディング要素、そしてヒロインや声の可愛さを堪能することができるはずだ。

ホラーはその時代の最新科学理論・技術を反映している事が多い。その意味で、本作をはじめとする同種的展開の流行は、バーチャル空間への期待と恐怖と表現されるだろう。

「にゃるら」氏によるゲーム『NEEDY_GIRL_OVERDOSE』は、「インターネットエンジェル」を目指す女子がメインキャラ。
彼女はネット活動(超てんちゃん)の姿と、普段の姿が全く異なっており、承認欲求や“地雷”を「ピ」である主人公(ゲーム操作者である自身)と共有する、マルチエンディングADV。

こちらはヤンデレではなく、メンヘラとして描かれているが、昨今ではこのような重たいヒロインをメインとする作品も、必ずしもマニア向けの狭いジャンル内で消費されている訳ではないのだ。

ヤンデレは加害者なのか

なお、長らく多くの媒体ではヤンデレは往々にして、目のハイライトを消失し、主人公への強い執着心をあらわにするのがテンプレ。

拙作『[取材]シュウスイちゃんとは』より抜粋。

そのため、キャラ(属性)として固定化されたものとしてではなく、主人公の言動の結果として不意に、“普通の”ヒロインがヤンデレのような対応をすることも少なくない。
キャラクター(性格)の中に組み込まれていっている段階・過渡期と言えるだろう。

VTuber界隈ではこのようなお決まりを「」として、提供・受容されている。
他の配信主のところへ視聴者(≒主人公)が行くことへの嫉妬を見せるとともに、それを問いただす等の状態を指し、このとき、持ち前の声力を活かすようにして、いかにその世界観を破壊せず、それでいて、良い関係を維持できるかが、視聴者と配信主との絆を示す行為でもある。
なので「圧」は、主人公がヤンデレを忌避・嫌悪するような結果とは違って、和解することが常である。

このゲームでは、主人公が「遊び(※ギャルゲー)」として、永遠の愛をあくまでも、消費者的に受け止め、次なるヒロイン攻略へと向かったことが原因であった。
ストーカータイプなどのヤンデレものならいざ知らず、ヤンデレとしての側面をみせるとき―VTuberが「圧」をかけたり、ヒロインに執着心を実行に移さざるを得ないと判断させるに至ったとき―、ヤンデレヒロインは確かに主人公の意志を曲げるようにして、なにがしかの言動を行う。
そのため、主人公はヤンデレヒロインから被害を受けたと表現することも可能である。
ヤンデレものの歴史上、きわめて重要な作品である「ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れないCD」の中でも、主人公が(バカ)正直に、妹ではなく「綾瀬」の作った料理の方がおいしいと述べた場面がある。

この理屈をすすめるにあたって、ヤンデレヒロインは正当防衛的論理による行為であると弁護も可能だろう。
そもそも、主人公の言動が“相応しいもの”であったならば、ヒロインはヤンデレになることはなかった。

ヤンデレヒロインはマイナーであったのが、ひとつの反応として確立させれていくことで、各ヒロインに備わったものとなっていった。
これにより、メンヘラ・地雷系がライトノベルなどでもメインになっていくのに対して、ヤンデレとしてメインをはることはあまりないままとなっている。
このファッション性は既に言及済みなので、ここでは詳しく述べない。

誰が何を言っているかではなく、どう言っているかが重要

ところで、特異的にヤンデレが群雄割拠している市場がある。
シチュエーションボイスだ。
例えばYouTubeで「ヤンデレ」と検索すると、基本的には音声作品・ASMRが様々なアカウントから、幾つも投稿されている。一枚絵として二次元イラストものせられていることが多い。

ここから改めて分かることは、VTuberの専売特許というのではなく、むしろヤンデレの特徴は、その言動に依拠するものではなく、その声色によるものだという点である。それ故に、ツンデレやクーデレのように、その他のキーアイテム(ツインテール等)を有さずシナリオや雰囲気のみが継承されていったのだ。
先に挙げた画像の「お兄ちゃんどいて」という文言が、ネット掲示板で誕生したものであるのも、それを読む者が想像する、「ヤンデレ風(「S県月宮」はヤンデレとして登場したものでは必ずしもないが、今日、読まれる場合、ヤンデレと表現・評価される事は稀ではない)」に声を置き換えて、想像することとなる。

ヤンデレはそもそも、主人公の反応に苦悩することで「病んだ」。
一方で主人公に憑依する消費者は、それを疎ましくも愛らしいものとして欲する。ここにはある種のSM嗜好が存在しているとも言える。
まずヒロインは、主人公から想う通りの結果を得られず病む。その次にヤンデレとして行動する。

消費者はマゾヒズム的にそれを欲する一方で、ヤンデレを誕生せしめるというサディスティックな思想も持ち合わせているのであり、実際にはSMが太極的に入れ替わりが常に巻き起こっていると想定される。
であるならば、その発生原理ならびにメタ的な構図からしても、ヤンデレヒロインは加害者ではないのだ。

それはあたかも、紳士階級にあって、男性が不名誉な女性関係の問題をおこしたとしても、相手の女性を「魔性の女ファム・ファタール」と表現して批判を劇化かつ激化させる効果や余地があったように、ヤンデレという免罪符は、そもそもが共依存的バランスによって成立する応対なのである。

アイドル文化が隆盛し、様々な形態によって様々なアイドルが登場し、その応援方法や問題性を現実的に体験してきた中で、アイドルの負の側面をも「消費」するようになっていた。
それは「圧」としてのサービス・お決まりや、ヤンデレヒロインという枠組みを当てはめることで、メンヘラ・地雷系とは異なり、それまで攻略・応援する側だった消費者が、追及される側へとなれるシステムでもあるのだ。

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