柳宗悦 「茶の改革」 1948

大體茶人たる資格としては
一、眼力の人であること。美しさへの正しい直觀をもつ人であること。この力がないと美しさのことはわからぬ。
一、筋の通った茶器の所持者であること。何も名器が揃はずとも、無銘品でもよく統一のとれた持ち方のできること。
一、必然さのある茶法を心得ること。必然さがないと、すぐ形式化してしまふ。従つて作爲におちる。
一、心の淨い人、清貧の人、脱落の人、私なき人。これを缺くと佛道には交はり得ぬ。茶は道ではないか。
一、平常の暮らしに「茶」の精神の活きている人。これがないと茶室だけのえせ茶人に終る。
一、創造力のある人。これを缺くと「茶」に進歩がなくなる。
一、情操の豊かな人。これがないと冷い。度を過ごしては矛盾が起る。
それゆゑ、今日の「茶」の弊害は、以上の條件を缺くことにあらう。

柳宗悦、1982「茶の改革」『柳宗悦全集著作篇第十七巻』筑摩書房。

以上によって、茶人たる資格がない人とは、
一、目の見えない人。
一、筋の通った茶器をもてない人。
一、作為にこだわり、形式を出ない人。
一、吾を忘れられない、俗な人、金銭にきたない人。
一、普段の生活と「茶」が関係性のない人。
一、創造力のない人。
一、趣味に溺れる人。風流を気取る人。
一、巧者ぶる人。
これらは「エセ宗匠」と柳は言った。
「茶ニテアレ 茶ニテナカレ」
柳が茶を志す人に送った一偈である。


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