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#世界の見方が変わったこと

「超相対性理論」の過去の放送を聞く。

もうこの先の残った時間は「自分」の研究に費やしてもいいかもとか思うくらい面白い。

「世界の見方が変わったこと」
という問い。

すぐに思いついた自分の記憶をひとまず3つ記録。

1.小学生1年生

朝の登校。 集団登校で年上の子たちと学校へ歩いて行っている。
遠ざかる「家」は消滅する。
父母祖父母弟。「家族」も消滅する。
その代わり、「学校」が立ち上がって、そこには教師がいて、子供たちがいっぱいいる。
夕方、学校から歩いて帰る。
後ろの「学校」は消滅する。
目の前の集落が存在しはじめる。
だんだんと「家」が存在しはじめ、 家にいるだろう祖父母の姿ができる。 自分が動くとその先に世界はでき自分が去るとその世界は消滅する。
と、幼い私は思っていた。 だから「気持ち」は自分以外のものには存在しないと思っていた。

その後だいぶ経ってから、2つ年下の弟に、聞いてみた。
「(あなたにも)気持ち ってあるの?」
当然だろ、アホちゃう?くらいの勢いで即答され、
まじか と。
こんなややこしいもんが、万人に存在している という恐ろしさを知る。

2.最後の旅

大学生の頃から「お金をためては旅」を重ねていた。
27歳、学生時代からの旅友達二人でトルコ、オランダ、イギリスの旅中。
トルコで深夜バスに乗っていた時のこと。
灯りの消されたバスの中ではイスラムのラジオから音楽が小さく流れていて、私は瓶の甘いコーラを飲んでいた。
窓の外の暗闇を見ていた。
ずっとこんな生活を続けていたら私は30才までには死ぬんじゃないかと思っていた。
やりたいこともなかったし、希望はひとつもなくて、自分は大嫌いで。
でも、周りの人たちのことが好きで、旅先で出会った人たちでさえ好きで。

海外でふらふらしている時の常で、いつも、日本に帰ったら働こうと思う。
トルコの深夜バスで、私はこのままずっと海外をふらふらしていたいけれど、きっとこれが限界で、きっとこれが最後の旅になるだろうと思った。

その時に、もうこんな旅に出れないかもしれないと思った時、
一個はっきり分かった。

私は、ずっと自分のことを弱虫と思い込んで生きてきたけれど
別にそんなに弱くもなかったと。
現にこうして、これまでも海外で、やばって状況になっても、自分で何とかして旅を続行してきたじゃないか。世界には優しい親切な人たちもいっぱいいて、どこでだって、おもしろいことがあったじゃないか。
別に私は強くもないけれど、弱い人間でもなかった。
と、トルコの深夜バスの中で、なんだか、一個だけ大事なところが自分の中で決着した。

トルコから帰国後。
その会社側のニーズを満たすけっこう考えられたちゃんとした面接を受けて、
合格した私はサラリーマンになって、仕事に打ち込んだ。
仕事はおもしろかった。

3・息子が生まれた日の夜

雪が降っていた。
生まれたばかりの息子が全然乳を飲まなくて途方に暮れ、看護師さんたちのいる部屋に向かって、深夜病院の廊下を歩いていた。
まぎれもなく新しい生物と新しい物語が腕の中にいた。
私の物語はいったん終わったとはっきり分かった。
主人公は移り変わり、私の人生は次の章に入ったのだと。
心細く、ひどい顔で、生まれたばかりの息子を抱きながら病院の廊下を、小さい光に向かって歩いた。


高3と中3で受験生なのに、大事な夏なのに、ゆるゆるしている息子と娘。
夏休み、私も忙しくてどこにも行けないから、
せめてごはんでも食べに行こう!と私の休みの日、短期の夏期講習後のしゅんを駅でピックアップして、とりあえずどっかドライブしようと行った先が国府の神社。
初詣でめっちゃ混んでいる時間にしか行ったことがなかったので、イメージが全然違って、夏の誰も参拝客がいない荘厳な神社とその森を歩くのは気持ちよかった。

三人でわいわい参拝する。

「かみさま、この人たちを、合格させて下さい」と私だけが真剣にお願いする。

二人はずっと面白いことばっかり言って、私を笑かす。

私の人生のチャプター2の主人公たちが面白すぎて
若かった私はふらふら旅ばかりして30才で死ななくてよかったって思うし
老いていく私はこの人たちとこれから先もっと面白いことをしたいとか思う。

で、英語も韓国語も使ってみたいし
「三人でさ、まだ二人が学生のうちに海外で珍道中しようよ、近場で韓国でもいいし」と言うと
「珍道中はしたくない」と断られる(^-^;

世界の見方はこらからもいくらでも変わり続ける。
そうありたい。

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