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地雷をとりのぞいていく

仕事をしていると、間違える。
ミスしたところでそれを大したことじゃないと笑える人もいるし、
「自分のせいじゃない」と思える人もいるけれど
かつての私は愚かで、ひとつのミスで当分は落ち込めた。
その落ち込みが私生活を犯して困ってしまい、
私は自分が犯したミス研究をはじめ、個人レベルで試行錯誤してはトライ。
そもそもシステムを変えたらいいんじゃ っていうところは
社内SE職員さんにお願いして変えてもらったり。

新人教育が雑だったり
無駄で意味のない作業が多かったり
いくらでも機械で代用できた業務があったり
いろんなお客さんがいろんなケースを持ち込むし

間違いを誘発させる地雷はそこらじゅうに埋まっていた。

私は要領が悪い上にせっかちなので、それを最前線で踏んで爆発させまくってきた。
その度に火消しに頭や心の筋力を使ってきたけれど
それでも、やっぱり、まだまだ思いもしないところに、新しいタイプの地雷が埋まっている。

「属人的ですね」と何年か前、私の話を聞いたコンサルの人が言った。
当時は、自分がいなかったり休んだりしたらいけない って思っていた。
自営業じゃないんだから、会社組織なんだから、私がそんなこと思う必要ないのに。

例えば「あいつのミスのせいで」とか「あの人に言っても全然話にならなくて」などの発言はそれが冗談であっても
ここがいかに属人的かを思わせる。
仕事が進むかどうか、上手くいくのかいかないのかは「その人」に寄るってこと。
人に寄るには無理がある。

誰かがやらかしたことは他の人もやらかす可能性がある。
それなのに私は自分のこんなくだらないミス、他の人は間違えないよね、って思ってしまうから、対策が甘くなってたし、
おそらくほとんどの人は、
馬鹿な他人がやらかしたことを自分はしないと思っているから、そのことに関心がない。

たまたま、朝、糸井重里のインタビューを化粧しながら聞いていた。
仕事の「実行」のところは、間違いをしないことが最高なんです と。
その言葉が、ぐって入って
間違いばかり犯す私の日々の人知れずの地味なミス研究が肯定されたみたいだった。

だって、私がアホみたいにミスを繰り返していた日々と今は違う。
仕事の「実行」においては、確実に、最高の方向には向いているってことだ。
この先誰かが踏む可能性があった地雷を私が踏んで爆発させてきて、
同じタイプの地雷を他の人は踏まなくてよくなかった。

私は、新人さんたちが、たまたま優秀だったり要領よかったり、または上手にさぼる人だったり(故にミスが少ない)で、彼らがひどいミスを犯さないのは彼ら自身によるものだとずっと思っていたけれど、
ひょっとしたら、、
人知れない地道なミス研究で、私が踏んだ地雷をもう誰も踏まなくていいシステムができていっているのかもしれないとはじめて思う。
彼らがミスをする機会が減り、笑っていられる今は、彼らの能力だけじゃなくて、システムのおかげかも。
そして心理的安全性。
私がここに来た時にはそんなものはなかったし、今もないが、まだよくはなってきている。
たった数年だが信じられないくらい今は働きやすい環境になってきている。

今私たちがいる環境も、私が知らない、会ったことがない、名前も知らないこの会社の先人さんが
悩みながら作って下さっていたのかもしれない。

今後会社員をやっていく中では、こういう地味なことの繰り返しの中で、「あ、前より良くなっているね」と思え、ひょっとしたら、いつかのこの先の誰かの役に立つかもしれないという想像、、それもこの仕事をやっている一つの意味になるのかもしれない。

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