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「ずっと死ぬ気がする、みたいな」

熊が怖い。

実際一度も遭遇したことはないが、
夢の中で熊に何度も追いかけられた。
熊が怖すぎるので、
ショート動画で流れてくるヒグマの映像を見てまた
ぶるぶる、ぶるる(>_<)

みたいな感じで

私は鬱が怖い。
コロナやインフルエンザや骨折より怖い。

だから、ヒグマの動画みたいに流れていたら、つい「鬱」関係も見てしまう。

NHKで流れていたサカナクションの山口さんのドキュメンタリーは途中から見た。

この番組のことを、
毎回聞いている「無限まやかし」で大島さんと高野さんが
「鬱といきるということ」というタイトルで話をしていて
この回、本当にいちいち刺さったんだけど
その中でも、高野さんの話が、
若者だった自分が持っていた”あの感じ”を見事に言語化してくれているような気がして、
生きてたら、20何年後かに、こういう形で「出会う」こともあるんだなぁと思う。

高野水登さんが、その回で話されていたこと
少し書き起こしてみます。



俺ね、ベース 「自分が生きている価値がない」と思っているのよ ベースね で、ベース「生きてる価値がない」から
「生きてていい理由を自分で生み出さなきゃいけない」と思ってるの

だから「人が喜ぶことをしたい」っていうのが、、好きなのよ
好きもあるんだけど 好きと同時にそこと「自分には生きてる価値がない」がばっちりかみあって脚本家って仕事を すごい 俺は 転職だと思ってんの 自分でも限界をこえて頑張れるし、限界を超えて頑張って別に辛くない

脚本家を仕事にできてから安定している
自分は常に今が一番楽しい
でも
学生時代までは別に頼まれてやっているわけでもないし、それで経済が生まれてるわけでもないし
得られるものは、その、本番やった時に「おもしろかったよ」って言ってもらうことくらいだから

でも、ずっと ほんとちっちゃい時からずっとよね ずっと
「なんで生きてるんだろう」 みたいな
「ずっと死ぬ気がする」 みたいな
「死んでもしょうがない人間だと思っている」 みたいな感覚もあったから
ま、すぐ落ち込むし、落ち込んだ時手つけられない感じだし 
少なからず そういうもの(鬱)あると思っているし・・。


「ずっと死ぬ気がする みたいな」
「死んでもしょうがない人間だと思っている みたいな」

当時の自分が言語化できなかった、でも、20代の私だ。
若くて健康なくせにそんなことを考えていること自体申し訳ないから
他人にも言えないし。

それなのに、
話もしてないのに、
「死んでもいい って思ってるだろう」
と当時のバイト先の店主に指摘された。
笑い飛ばしたが、
今思えば、店主から見たら、私は何も言わなくても
「やばい」ゾーンへ行きかけていたのかもしれない。

かなり時間が経った今だから、ああ、あの頃はこういうことだったのだと客観視できる。

高野さんは、だから、人が喜ぶことをしたい になって、 脚本家になった。

私はそれほど人を喜ばせてないが、仕事頑張ってもそれほど辛くないし、
まぁ、割と楽しい。

今でも私は
「自分が生きている価値がない」
「ずっと死ぬ気がする みたいな」
「死んでもしょうがない人間だと思っている みたいな」って思っているだろうか。

そういえば、「生きててよかった!!」ってよく思う。
「生きててよかった」とよく本気で口にする。
それを周りは「大げさな」って感じで苦笑するんだけど、
「ずっと死ぬ気がする みたい」に生きているから、
「生きててよかった!!」と感じることが多いのかもしれない。

息子が私に
「人間ドッグに行ってきて」と言う。
「もっと早く(仕事から)帰ってきたらいい」と言うし、
「有給取ったらいい。ねっちのインターハイ長崎に行ったらいい」と言う。

「うん、そうだね」と言うと
「そう言っておいて、どうせ人間ドックにも行かないし、有給も取らないだろ」と厳しく言うので、
少しは、子らがしてほしいことを実行しないと、信用されなくなるのではと心配になってきた。

「生きている価値」は、変わっていくのかもしれない。
自分だけのものじゃないという。

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