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あたたかな大人。

私が帰ったあと、工房へひょっこり仕事の話をしにみえた方がいたと母が言う。その方は、以前に取引のあった、地元の会社の人なのだが、私のことをご存知だったという。

「そっか、柊ちゃんもここで仕事してるんやね〜」と話していたよ、と。

私のことを「柊ちゃん」呼びする人は、同級生だとか、子どもの頃の知り合いだとか、先輩だとかしか心当たりがないのだけれど。
名前を聞いても、ピンとこない。ましてや、仕事の関係では、心当たりがなさすぎる。

はて。誰だろう。

そんな心当たりない知り合いに、モヤっとしたのもつかの間、納期に追われ、コレが終わったら次コレ、で、そのあとコレでと、手を動かし仕事を片付けていく。そうして、1日が終わろうとしていたある日の夕方。

例の取引先の方が、やっぱりまた仕事の話をしたいと、これから伺うと電話があった。
本日の仕事はひとまず終わり、帰ろうとしていたのだけれど、その心当たりのない知り合いと、仕事の打ち合わせが入ってしまった。 
「柊ちゃん」呼びの、知り合い。

はて。誰だろう。

しばらくして「こんちわ〜」とやって来た。

「おー、柊ちゃん!ひっさしぶりやなぁ〜」
といきなり陽気に話しかけてくる、メガネをかけた男性。の顔。あれ。あ。見覚えが。

そうだ。あぁ、そうだ。

20年ほど前に、私がバイトしていた地元のラーメン屋「桃太郎」のお客さんだ。

「桃太郎」は小さなお店で、カウンターに4席、小上がりに3卓、予約があれば2階に10名ほど入れる座敷があった。ラーメンと中華料理、生ビールやサワーもあり、飲みに来るお客さんも多かった。
大将とバイトの、2人でまわしていたので、大将はひたすら料理を作り、私は、注文を取りながら、テーブルを片付け、洗い物をしながら、料理を運び、ドリンクを作って、ニンニクを剥いていた。20歳そこそこのころ。
長閑な田舎のラーメン屋で、お客さんはほぼ顔なじみで、常連さんにいたっては、席も決まっていて、ドリンクも料理も顔を見れば出てくるスタイルだった。

私は「柊ちゃん、これ持ってって」と大将から呼ばれるうちに、お客さんたちの間にもそれが広まり、注文を取りに行けば
「柊ちゃん、生4つねー」
「柊ちゃん、俺レモンサワー、レモンなし」
と、「柊ちゃん」呼びがお店では当たり前になっていたのだった。

そうだ。
4人くらいでよく飲みに来ていたお客さんだ。メガネの奥でニコニコした、あの赤ら顔が、ふいに思いだされる。

「ひっさしぶりやな〜、20年ぶりくらいか」

そうだ、砂肝の唐揚げが好きだったイワサキさんだ。レモンサワーはレモン入れなくていい方の人。

「お久しぶりです、かわらないですね〜」

あの賑やかな小上がりで、地元の同級生と4人で仲良く飲んでいたイワサキさん。
たまたま、私が友達と近くの飲み屋で飲んでいたとき、イワサキさんも友達と飲みにきていて、ご馳走になったこともあった。
「おー、柊ちゃんやないかー」と。
隣のスナックへ「歌うぞ〜!」とそのままごっそり移動して、みんなで歌ったこともあった。

そうだ、そうだ。

あの頃の記憶が、紐づいていく、少しずつ。
陽気な酔っ払いばかりの、賑やかな夜。

そうだった。
「柊ちゃん」と呼ばれていた。

「桃太郎」はもう、とうになくなってしまったけれど。
砂肝の処理と、ニンニクの剥き方と、生ビールの注ぎ方と、気のいい酔っ払いの陽気なあたたかさと、大切なことを学んだあの頃。

「柊ちゃん」と呼ばれていた。
 
あたたかで賑やかな記憶。

十分可愛がってもらっていた。
優しくて陽気で。
あたたかな大人に。

レモンサワーのレモンなしの人。
メガネの奥は、
相変わらずニコニコしていた。

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