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【創作大賞感想文】おはよう、私
子どもの産めない瑠璃、「子どもがいないと自由でいいね」という言葉を瑠璃にぶつけてしまう葵、本当の自分を押し殺しながら生きる中学3年生の青磁。
「子どもがいないと自由でいいね」というフレーズが、心に棘のようにささってしまった瑠璃は、目を閉じ、南の島を想像する。
それまでの彼女の嘆きや葛藤や諦めのような澱を、どうにか乗り越えてきた今の彼女は、対処法を知っている。
波の音と、彼女の培ってきたしなやかさが、
とある優しいピアノの旋律に溶けてゆく。
葵は、子育てと仕事の両立が、時に上手くいかず苛立ち、ついには、同僚の瑠璃に絶対に言うべきではない言葉を投げつけてしまう。
「子どもがいないと自由でいいね」
子どもに寄り添いたい母性と、仕事への責任感との板ばさみでいっぱいいっぱいな彼女に、一人の女性が声をかける。本当は、とても些細で簡単なことなのに、母親という立場になると、なかなか言えなくなることがあるのだ。
「助けてほしい」
「助かったわ、ありがとう」
一人でいろいろを抱えこみ、がんじがらめになっていた葵に、百合さんの優しさとあたたかいうどんが染み込み、ふっくらやわらかな娘のほっぺ、そして本当はまわりにたくさんあった頼れる存在に気がついていく。
ピアノの旋律とともに、瑠璃とのわだかまりもきっと解けてゆく。
ピンクのランドセルを欲しがった青磁は、
「変な子だと思われるに決まってる」と母親に心配されることで、自分が人と違っているということに気がつく。小学校、そして中学へ上がり、それは「僕は変だから」と、隠すべき違いになっていく。その違和感を「まるでミッキーマウスの着ぐるみでも着ているかのよう」だと感じながら。
それでも、姉(15歳年上の瑠璃!!そう、あの瑠璃!!)や、幼なじみの花音には
「青磁のセンス、素敵だと思う」
と受けいれられ、本当の自分でいられる楽しさや喜びを知る。
ピアノの旋律とともに、青磁の目の前に綺麗なもの、かわいいもの、素敵な色が溢れていく。
この三章の物語は、一曲のピアノの旋律にもとづいて生まれたもの。
目を閉じて聴いていると、本当に。
瑠璃が頭に描く南の島や、
葵の目覚めた朝と娘さんの柔らかそうなほっぺ、そして、青磁の好きな色やかわいいユニコーンが駆けていく。
この令和の『個の時代』に、それぞれの価値観は、ともすればすぐに分断されてしまう。それぞれの価値観で、わかりやすく割り切られ、そこには見えないけれど、確実な壁ができていく。各々の領域は、たとえば趣味の合う同士、考えの似た者同士に括りやすく安全で平和で。だからこそ、その境界を超えることは、年々むずかしくなっていくような気がしている。しがらみや「お付き合い」に見る、昔ながらの「どうでも付き合っていかねばならない」ような関係性は、近ごろではあまりなくなり、気軽に快適なフィールドを、割り切り、構築できる世の中になっていっている。
その中で。
やはり、この物語に感じる、あたたかさはとても沁みる。こういう時代だからこそ、沁みるのだ。
読み終えて、自然にスッと顔が前を向き、心にあたたかさや「世の中捨てたもんじゃないよね」ととてもシンプルなことを信じられた気がした。
大変なこともあるけれど、
コーヒーの一杯くらい、
ホッと一緒に飲めたらいい。
「おはよう、私」
読み終えたあと、やっぱり思う。
素敵なタイトルだ。
☕️
素敵なnoter、優しいさちさんの
「おはよう、私」
を勝手にご紹介させていただきました。
旬の食材を使った料理や、無添加で本来の味を活かした食事をしたような、そんな体に良いものを摂ったような、栄養のある読み物でした。
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